スタッフ
監督: リドリー・スコット
製作: リドリー・スコット、ミミ・ポーク
脚本: カーリー・クォーリ
撮影: エイドリアン・ビドル
音楽: ハンス・ジマー
キャスト
ルイーズ / スーザン・サランドン
テルマ / ジーナ・ディヴィス
ハル / ハーヴェイ・カイテル
J.D. / ブラッド・ピット
ジミー / マイケル・マドセン
ダリル / クリストファー・マクドナルド
ハーラン / ティモシー・カーハート
マックス / ステーブン・トポロウスキー
アルバート / ソニー・カール・ディヴィス
日本公開: 1991年
製作国: アメリカ パテ・エンターティメント作品
配給: 松竹富士
あらすじとコメント
前回の「プリティ・リーグ」(1992)で、主役を演じたジーナ・ディヴィス。そんな彼女の主演にして、同じくロード・ムービー的な作品にしてみた。
アメリカ、中西部アーカンソー。とある週末、ダイナーのウェイトレスである独身のルイーズ(スーザン・サランドン)は、主婦のテルマ(ジーナ・ディヴィス)を誘い、勤め先の店長の別荘へ、一泊二日で遊びに行こうと出発した。
しかし、14歳から付き合い、亭主しか男を知らないテルマは、そのことを亭主に言えぬままの外泊であった。あきれるルイーズだが、そんな彼女が、見ていられず誘いだしたのだ。テルマも、そんなルイーズの優しさに触れ、一挙に、弾けたくなった。
立ち寄った酒場で、テルマはいきなり強い酒を頼む始末。その光景を見た地元の男が声をかけて来た。心配するルイーズを余所に弾けるテルマだったが、男のあざとい誘導で酔っ払わされ、レイプされそうになる。
その時、ルイーズが、テルマが持参していた銃を向けた・・・
ニュー『ニュー・アメリカン・シネマ』を意識した意欲作。
「自分探し」「虚無感」といった悩める若者らの心の渦や流れを広大なる北米大陸を心象風景として描きながら旅する。
当時は、ベトナム戦争の最中で、若者たちは、いつ自分が戦場へ駆りだされ、密林で絶望的な戦闘を強いられ、死ぬかもしれないという不安が日常に横たわっていた時期。
そんな時期にロケを多用し、低予算で制作された一連の作品群が「アメリカン・ニュー・シネマ」。
本作も、それを踏襲した作品である。それを連想させるためか、彼女らが乗る車は’66年型サンダー・バートのコンパーチブル。雨の時は幌製の屋根を被せ、晴天時はオープン・カーとして走る。
しかし、本作が決定的に当時と違うのは、女性二人による道行ということ。しかも、彼女らには、『死の恐怖』など存在しない日常である。
だが、そこそこの日常を送れるからこそ、逆に、満たされぬ鬱憤がストレスを喚起し、それを鬱積させている。そんな彼女たちが、成り行きとはいえ、男を射殺する。
その瞬間から、彼女たちの人生が一変し、坂を転がるように落下して行く。
世間知らずで、男知らずの専業主婦が、ワザとか本能からか、見知らぬ男を誘う。一方の女は姉貴格で、どうやら男に対し暗い過去を持つ。
当初は「偶発的な事故」としての可能性があるのに、暗い過去から逃亡を図る姉貴分。しかも、それを引き起こしたのは、自分が誘った、気弱というか、情緒不安定な人妻。
そこまでの過程で、映画は、嫌と言うほど、二人の主従関係を見せ付けている。しかし、そのことからお互いの心に浮かぶのは「依存」である。
その後、人妻に置いてけ堀を喰った亭主、姉貴格の女性の恋人、旅先で知り会う真面目そうな大学生などが登場してきて、都度、女性二人の主従関係が逆転していく。
そして、一度も面識はないが、彼女らに心の中で肩入れして行く人生の辛苦を知る刑事なども登場し、映画は突き進む。
広大なアメリカを中西部から、荒野や砂漠を南下して行く過程で、彼女らの心情に劇的変化が訪れ、ある意味、解き放たれていく。
しかし、その「解放」が、犯罪を増幅させていくのだ。
大した問題を抱えた生活でもなかったであろう人生。しかし、それゆえに感じるストレス。
そこに人間とは、生きていけば、それだけでストレスを感じるという身勝手さを感じた。
そんな個人的束縛からの「自由」が、トラウマを覚醒させ、「絶望」へと連鎖していく。それを等身大の女性たちが体験する姿を、こちらが追体験して行く。
冒頭から、お互いがどこか情緒不安定であると見る側に想起させる手際は面白い。
しかも、ある程度「アメリカ・ニュー・シネマ」を知っている観客たちにも、その追体験をさせるし、知らない人間にも心の荒廃を感じさせた映画群があったと連想させながら、独自の視点と手法で、だが、ありきたりな作劇法によって進行させるスコット演出は見入るものがある。
繊細さと大胆さを使い分ける演技を披露する主役二人も熱演だし、音楽の使い方や、広大であり荒涼とした土地を痛感させるカメラ・ワークも良い。
新しいが古い作品。というよりも、人間の心とは、戦争などという壮大な現実に関係なく、いびつになるという輪廻があると感じさせる意欲作である。
だが、個人的には決して好きな作品ではないのだが。