スタッフ
監督:アルフレッド・ヒッチコック
製作:ウォルター・ウエンジャー
脚本:チャールス・ベネット、ジョーン・ハリスン
撮影:ルドルフ・マテ
音楽:アルフレッド・ニューマン
キャスト
ジョーンズ / ジョエル・マクリー
キャロル / ロレイン・ディ
フィッシャー / ハーバート・マーシャル
フォリオット / ジョージ・サンダース
ヴァン・ミーア / アルバート・バッサーマン
ステビンズ / ロバート・ベンチュリー
クルーグ / エドゥアルド・チャネリ
ローリー / エドマンド・グウェン
パワーズ / ハリー・ダヴェンポート
日本公開: 1976年
製作国: アメリカ W・ウエンジャー・プロ作品
配給: IP
あらすじとコメント
引き続きヒッチコック作品。渡米後の作品であるが、イギリス時代の王道をゆくヒッチコック・タッチが存分に楽しめる作品。
アメリカ、ニュー・ヨーク。ヨーロッパではナチス・ドイツが戦線を拡大していた1939年8月のこと。アメリカはまだ参戦していなかったが、大手新聞社『NY・グローブ』では、編集長が、ロンドンにいるベテラン特派員からの入電が、政府の公式発表だけなことに腹を立て、若き熱血漢の記者ジョーンズ(ジョエル・マクリー)を、急遽、派遣させることにした。
特に、今後の情勢を左右するであろうオランダ政界の大立者に会い、情報を得ろとの特命付きである。
一路ロンドンへ渡った彼は、大立者の出席する午餐会に出席することになる。ホテルから会場へ向かおうとした時、偶然、タクシーに乗ろうとしていた老人こそ・・・
緊迫した国際情勢を絡めたヒッチコックらしいサスペンス・スリラーの佳作。
いかにもヤンキーらしいタフさがある記者。しかし、決して知性派ではなく、どこか行き当たり場当たり的でもある。
物語は、ニュー・ヨークに始まり、ロンドン、オランダと国際的な拡がりを見せて行き、しかも行く先々で、主人公が様々な困難に見舞われ、その都度、解決し、真相を追って行くスタイル。要となるのは、オランダ政界の大物や、「万国平和会」の会長と美しいその娘。他にも諸々、登場して華やかである。
つまり、安心して見ていける内容であり、そこにヒッチコックらしい凝った映像や演出が散りばめられて行くという寸法である。
個人的に何度も見た作品であり、都度、何かしらの発見がある作品でもある。
ただし、時代性もあるので、CGを見慣れた観客からすると「稚拙」というレッテルを貼るかもしれない。いかにもセットや模型と解る作りだし、どこか安っぽさを感じるかもしれない。
それでも、本作はアメリカ映画でありながら、いかにもイギリス映画らしい、サスペンスに次ぐサスペンスが、畳みかけて来る展開であるし、これぞ王道のイギリス映画だといえる作品に仕上がっている。
冒頭、地球儀が回る模型からカメラが引き、それが新聞社の屋上看板だと解り、そのままとある窓にアップで寄って行き、主人公が現れるというワンカットっぽいシーンなど、ヒッチコックが何度も使った手法で、ファースト・シーンから、思わず笑みがこぼれた。
それ以後も、雨天の議事堂前の階段上での、黒い傘が密集する中で起きる暗殺シーンや、オランダの名物風車が、奇妙な動きを見せたり、その内部での歯車を上手く使ったサスペンス場面、クライマックスの飛行機のパニック・シーンなど、流石のヒッチコックだと感じた。
しかも、本作は長年日本では未公開で「幻の作品」と呼ばれたいた一本であり、やっと公開されたときは、小躍りして喜んだものである。
また、渡米後、段々と、その性癖を露わにして行くヒッチらしい映画群とは一線を画し、いかにもイギリス映画人としての誇りとテクニックを披露している点にも、好感を持った。
しかし、実は本作でヒッチコックは、アメリカのスタイルや価値観に翻弄されていたのである。それは映画化に当たり、監督は、主役に当時、人気絶頂だったゲーリー・クーパーを起用したがった。
その時、クーパーは西部劇などの単なるアクション・スターからの脱却を狙っていた時期で、断った。しかも、クーパーからすれば、単純なスリラー・アクションは、人間ドラマ等より格下の作品であり、アメリカ国内でも、『どうでもいい、すぐに忘れ去られる作品』というイメージがあったようだ。尤も、これはアメリカ映画界全体でも、同様な位置付けでもあったのだ。
イギリスでは王道であり、尊敬に値するジャンルとは、まったく違う扱いに閉口し、以後、ヒッチコック自身に暗い影を落として行く。
しかし、本作を見たクーパーは「出演しておけば良かった」と言ったのは有名な話である。そのことから推しても、本作がどれほど良く出来た作品であるか想像されようか。