暗黒の恐怖 – PANIC IN THE STREETS (1950年)

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スタッフ
監督:エリア・カザン
製作:ソル・C・シーゲル
脚本:リチャード・マーフィ
撮影:ジョー・マクドナルド
音楽:アルフレッド・ニューマン

キャスト
リード / リチャード・ウィドマーク
ウォーレン / ポール・ダグラス
ナンシー / バーバラ・ベル・ゲティス
ブラッキー / ジャック・パランス
フィッチ / ゼロ・モステル
ネフ / ダン・リス
メファリス / アレキシス・メノティス
ポルディ / ガイ・トマージャン
ジョーダン / エドワード・ケネディ

日本公開: 1951年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス


あらすじとコメント

リチャード・ウィドマーク。好きな俳優のひとりであり、彼が公衆衛生局の医師という珍しい役柄を演じた作品を選んだ。セミ・ドキュメンタリー・タッチの犯罪映画の佳作。

アメリカ、ニュー・オリンズ。ある深夜、人相の好ましくない四人の男がカード・ゲームに興じていた。そんな中の一人が、体調がすぐれないと無理矢理、席を辞した。勝ち逃げは許さないとばかり、親分格のブラッキー(ジャック・パランス)らが追い掛け、結局、射殺してしまった。

翌朝、射殺死体を発見した警察は安置所に運ぶが、監察医が異常を発見。すぐに市の衛生官リード(リチャード・ウィドマーク)に連絡を入れた。六週間ぶりの休日を楽しんでいた彼だが、制服に着替えると出頭した。そして、死体を見て驚くリード。すぐに、死体発見者や遺体を移送した警察官らに抗生剤を注射するように指示。更に、射殺死体が身元不明だったことから、密入国者ではないかと推理し警察に最優先で協力を要請した。

キツネにつままれたような警察だが、ヴェテランのウォーレン刑事(ポール・ダグラス)に組むように命じた。いぶかしがるウォーレンに、リードが告げた。

死因は肺ペストだ、すぐに全感染者を押さえないと、パニックになる・・・

ペスト菌保有者たちとの攻防を描くスリラー映画の佳作。

咳や唾から感染し、死に至るペスト菌。しかし、最初に発見されるのは、感染で死んだのではなく、射殺体だ。

当然、犯罪絡みであり、暗黒街に生きる人間たちの関与が想定できる。その上、射殺体は密入国者であり、それを補助した船員たちも仲間意識が強い。更には市や警察まで、ことの重大さに気付いていない。

映画は、冒頭からミステリー色満載で幕を開ける。

唯一、先行きに恐怖を抱いているのは主役である衛生官だ。だが、彼には大した権限などなく、その上、多少なりとも家庭での問題を抱えている。根は真面目で、捜査などしたことがないので、どこに行っても不器用な対応をしてしまう。

そこに絡んでくるのがコンビを組むヴェテラン刑事。お互いに自分とは違うタイプだと直感するが、それでも、心は通じ合う。

そんな二人が、一から捜査をしていくが、当然、ペストのことは伏せなければならない。

それを嗅ぎつける新聞記者。一方で、仲間意識が強い連中は、当然、素知らぬ振りを決め込む。だが、感染し発病すると一日ともたずに死んでしまう病原菌。

そして、あっという間に死者がでてしまう。

その筋運びが絶妙に面白い。しかも感染者を射殺した犯人は、警察が躍起になって彼を追っているのは、何か、金目の物を密輸入したと勘ぐっている。

逃げながらも、それはダイヤか麻薬かと推察しながら、自ら射殺した男の関係者を力付くで追いつめて行く。

つまり、本作では官憲と悪党双方が、別な意味で街を駆け摺り廻るという二本の柱が平行して展開される。

それにより、病原菌が拡がる可能性を秘めて、である。

官憲側にも、真実を探る新聞記者や、重大さを知らず、鷹揚にしか対応しようとしない幹部らも登場してくる。

何とも、ストーリィ・テリングの妙で押して来るのだ。

当時、新進気鋭だったエリア・カザンのツボを突いた演出も上手いと感じるし、殺伐とした映画の中で、家庭シーンでのセックスを連想させる音楽の使い方も効果的。

出演陣も皆がそれぞれの役を見事にこなしている。そんな中で出色なのは、射殺犯を演じたジャック・パランス。見てくれからして、かなりインパクトがあるし、粗野で凶暴というイメージがすごい。

彼は本作がデビューであるが、以後、悪役として売れて行くのも当然という印象。

しかも考えれば、本作で主役を張っているリチャード・ウィドマークも、この映画の3年前に製作された「死の接吻」(1947)で、強烈なる悪役でデビューを果たしている。

だが、方や、真面目な衛生官という役を見事に演じているのも、時代の流れとして、また役者自身の成長を感じざるを得ない。

ロケを多用し、緊迫感を盛り上げるのもジュールス・ダッシンの「裸の町」(1948)と同じ流れであるとも思うし、当時のアメリカ映画は、色々な意味で奥が深いと感じる一本である。

余談雑談 2012年8月25日
夏休みも終盤。あちらこちらで、大小様々なイベントが行われている。 つい先立て、対岸の川に面した広場で小さなコンサートが行われた。 珍しく橋を渡ってフラフラと出掛けた。何故なら、出演者のひとりに興味があったから。 なぎら健壱。トボケた味わいで