スタッフ
監督: チャールズ・クライトン
製作: ジョン&ウォード・ホプキンス
脚本: チャールズ・クライトン
撮影: クリストファー・チャリス
音楽: アラン・ローソン
キャスト
エリザベス / アン・ヘイウッド
ドノヴァン / ハワード・キール
ピーブルス / シリル・キューザック
シャーキー / ハリー・H・コーベット
マーフィ / ジョン・クロフォード
保安官 / エディ・バーン
マシューズ医師 / ジョン・フィリップス
保安官代理 / ゲイ・キングズレー・ポインター
市長 / ジェームス・ディレンフォース
日本公開: 1959年
製作国: イギリス アーサー・ランク作品
配給: 東和映画
あらすじとコメント
前回同様、暴風雨がメインになる。B級映画らしい作品ながら、一風変わった作劇の妙を感じる映画。
アメリカ東部。小さな町レヴァノン。数日降り続いた豪雨に暴風が加わり、一部では浸水被害も発生。近くの河は、大きな濁流となり、決壊寸前だった。
そんな中、乗っていた車が立ち往生してしまい、胸まで水に浸かったエリザベス(アン・ヘイウッド)が、助けを求めて叫んでいると、筋骨隆々なドノヴァン(ハワード・キール)が、泳いでやって来た。彼女が近くの家へ戻ろうとしていることを知ると、自分が送り届けると言った。
濁流の中、何とか彼女の家へ辿り着くが、既に一階は水没し、医者の父親を始め、家族全員が避難した後だった。ドノヴァンは、ここの二階に居残った方が安全で得策だと、彼女をなだめた。すると、近くの濁流で飲み込まれそうになっている二人の男を発見。ドノヴァンが彼らを助け入れると雰囲気が一変した。どうやら二人とも、彼の知り合いのようだった。
ひとりはピーブルズ(シリル・キューザック)、もうひとりは拳銃を持ったシャーキー(ハリー・H・コーベット)だ。不安を感じるエリザベス。
何と、ドノヴァンとピーブルズは、決壊を止めるために、土のうを積み上げに来ていた囚人で、シャーキーは看守だったのだ・・・
不思議なティストで進行するB級パニック・アクション作。
何が不思議かといって、舞台の設定や、出演俳優が全部アメリカなのに、純粋なるイギリス映画であること。つまり、普通のアメリカB級映画として見ると、かなり異質なティストなのである。
ストーリィは、隙あらば彼女を狙う囚人や、それを何とか阻止しようとする看守の攻防と、ひとり勝手に黙々と筏を作ろうとする主役という図式で進行する。
しかも、主役は何らかの秘めた目的を持ち、当初は脱走を図っていたことが明らかになる。その目的とは何か。
そういったサスペンスと女性の強姦を絡めたスリルという二本立てのドラマが、誰も助けが来ない状況で、いつ河川が決壊し、家を飲み込んでいくかという状況下で進行していく。
確かに時代性を感じる設定や展開ではある。それに今見ると、チャチなミニチュアのセットにニュース映像を盛り込むというありがちな手法。
しかし、風雨が強まり、やがて四人がいる家が崩壊し、濁流に飲み込まれそうになる場面など、妙にリアルで手に汗を握るのだ。
何故なら、その作劇手法こそ、当時、イギリス映画が得意とした『セミ・ドキュメンタリー・タッチ』だからである。「SOSタイタニック」(1956)など、独特の距離感を保ちながら、何故か観客もその中に放り込まれるという錯覚に陥らせる手法。
前記したように、ここにアメリカ映画らしくないタッチが、妙な違和感を喚起させるのだ。自分のようにイギリス映画が好きで、かつ、往年のアメリカB級映画も好きという人間からすれば、堪らない映画なのである。
監督はチャールス・クレイトン。アレック・ギネスが主演し、オードリー・ヘップバーンがチョイ役で銀幕デビューした、金塊強盗に成功し、それを海外に持ちだそうと奮闘する犯罪コメディの傑作「ラヴェンダー・ヒル・モブ」(1951・未)の監督である。
日本公開されたのは「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(1988)程度で、後はイギリス製TVドラマ「スペース1999」といった作品群なので、知名度は低いが、自ら脚本も書き、シニカルな視点で展開するので好きな監督である。
本作は当然、DVDは発売されていないが、かつてビデオがでていた。偶然、それを見つけてレンタルし再見した。
しかし、昔の感慨にふけるだけという感じがしなくもなかった。そこに自身の人生の流れと価値観の変化、時代性を感じずにはいられなかった。
作品は同じ状態で存在し続けるが、人間は変わる。『色褪せる』のは、映画ではなく、自分自身かと、妙に感傷的にさせられた作品。