スタッフ
監督: ジョン・フォード
製作: ジョン・フォード
脚本: フランク・ヌージェント、J・E・グラント
撮影: ウィリアム・クローサー
音楽: シリル・モックリッジ
キャスト
ドノバン / ジョン・ウェイン
キルフーリー / リー・マーヴィン
アメリア / エリザベス・アレン
デダム医師 / ジャック・ウォーデン
デラージ侯爵 / シーザー・ロメロ
ミス・フルール / ドロシー・ラムーア
クルーゾー神父 / マルセル・ダリオ
メンコビッツ巡査長 / マイク・マズルギ
レラーニ / ジャクリーン・マルーフ
日本公開: 1963年
製作国: アメリカ J・フォード・プロ作品
配給: パラマウント
あらすじとコメント
前回の「愚か者の船」で、いかにも粗野なタフガイを演じたリー・マーヴィン。今回も、海を背景にした場所で繰り広げられる人間模様。ただ、コメディだ。
フレンチ・ポリネシア諸島のハレアカロア島。元海軍兵のキルフーリー(リー・マーヴィン)が、長い航海から島へ帰ってきた。それを見つけて慌てる、島を統治するフランス人のデラージ侯爵(シーザー・ロメロ)。何故なら、キルフーリーは暴れ者で、やはり島で酒場を営むアメリカ人ドノバン(ジョン・ウェイン)と犬猿の仲だったからだ。当然、二人は顔を会わした瞬間に殴り合いの喧嘩を始めてしまう。しかし、島民たちはそれが彼らの親愛の表現であることを知っていた。
一方、島に住むアメリカ人医師デダム(ジャック・ウォーデン)が、半月ほど離島に往診に行っている間に、デダムの生まれ故郷のボルティモアで相続問題が発生する。遺産を渡したくない親族が、ずっと会っていない彼の娘アメリアを調査に向わせることした。もし、妻の死後、島の女性と再婚などしていたら、上流社会の人間にあるまじき行動として相続権を剥奪できるからである。
そのことを知った島民たちは驚く。何故なら、デダムは島の元女王と結婚し、三児まで儲けていたからだ。しかし、彼女は既に他界し、子供たちだけが留守番をしていた。
慌てたドノバンは、三人の子供を自分の子として何とか誤魔化そうと・・・
巨匠ジョン・フォードの大らかな人情コメディ。
詩情豊かな西部劇が得意の監督が、名コンビのジョン・ウェインを起用して、南の島を舞台にした喜劇を撮る。しかも、タフな悪役が多かったリー・マーヴィンを共演者として参加させる。
そんな二人が、派手な殴り合いを繰り広げるのは、実にのどかに広がる海が背景だ。何とも不思議な感覚に陥った。
フォードとしては、かなり異色だが、実に監督らしい設定や展開もある。例えば、西部劇特有の酒場での大乱闘や、歌姫の登場などから、監督の出身地であり、常にそれを意識したアイルランド人特有の誇りと人情味である。それらが展開するのが、夢のような南の島という違和感。
監督は戦時中、記録係として太平洋戦線でドキュメンタリーを撮っている。その時の印象が強かったのか、もしくは、ここで扱った「ハリケーン」(1937)で、暴風に見舞われる悲惨な場所というイメージを払拭させたかったのか。今回は『桃源郷』としての南の島を意識しているのではないかと感じた。
ただし、日本人としては、かなり違和感を感じる部分もある。アメリカ映画だからと言ってしまえばそれまでだが、日本人と中国人の違いが非常に曖昧だし、日本住居的空間の違和感や、召使の日本女性の立ち振る舞いなど、どうしても嫌な印象を受ける部分もある。
かつて、アメリカ先住民であるインディアンを悪役として描いてきたし、その延長線上として、かなりアジア蔑視を含んでいるとも感じた。また、本作においてはフランス人でさえ、強欲な「すけこまし」だし、オーストラリア人も単純な人間たちとして扱われる。
喜劇なのだから、舞台となる南の楽園のような大らかな気持ちで見れば、それで良しとするか。それに時代性もあろうが、女性も強い立場として描いてはいるが、最終的には『男には黙って付いて来い』が、真のハッピー・エンドであるというスタイルを踏襲している。
ただし、異宗教の融合など、昔は単純だったと肩肘張らずに見ていけば、アメリカを代表する大御所ジョン・ウェインはいつも通りだし、敵役のマーヴィンも単純な善人という設定にも心和む。
酒飲んで殴り合って、結果、皆が理解し合う。殺伐とした現代に見ると、ある意味、桃源郷への逃避行として夢見心地になれるのかもしれない。