スタッフ
監督:森谷司郎
製作:田中友幸、武中孝一
脚本:関沢新一、斯波一絵
特技監督:円谷英二
音楽:佐藤勝
キャスト
九段中尉 / 加山雄三
加賀谷飛曹長 / 佐藤充
重政飛曹長 / 江原達怡
菊村上飛曹 / 土屋嘉男
金友上飛曹 / 大木正司
整備班長 / 谷幹一
航空隊指令 / 千秋実
神崎中将 / 藤田進
草川参謀 / 中丸忠雄
新谷中尉 / 久保明
製作国: 日本 東宝作品
配給: 東宝
あらすじとコメント
日本製の空戦映画。大作から中規模作と様々だが、所詮、負け戦が描かれる。ゆえに暗い映画が多いが、その中でも、割と面白い作品。
ブーゲンビル島ブイン基地。昭和18年、海軍最高司令官の山本五十六が戦死し、いよいよ日本が劣勢になってきたころ。
その基地には『八生隊』というゼロ戦部隊がいたが、他島の部隊と合流して、敵基地攻撃に出撃直前、アメリカ空軍が来襲し、飛行隊長を含み二名が戦死してしまう。何と、日本側の暗号が解読されていたからだ。その所為で山本長官も待伏せされていたのだった。
憤る加賀谷飛曹長(佐藤充)だが、航空隊指令(千秋実)から、新任の飛行隊長が新暗号表を持ってくるまで、再出撃を待てと厳命されてしまう。
加賀谷は、新任隊長は『疫病神ゼロ』とアメリカに恐れられている志津少佐に違いないと踏む。しかし、やって来たのが九段中尉(加山雄三)だったことから・・・
面白い意匠の戦争映画。
既に劣勢だった日本軍。特に最前線ではそのことを痛感していた。
本作の舞台となる帝国海軍飛行隊『八生隊』は、ゼロ戦が既に6機しかない部隊である。
そこへやって来るのは隊長と新兵の二名で、ゼロ戦は、たった一機のみ。アメリカ軍は近隣の島々を占領し、制空権を握り、連日空爆にやってくる。
そんな状況で何ができるのか。無骨で直情型の古参飛曹長に対して、新任隊長は、どこかクールで合理的な性格にして、作戦参謀が命令を下しても「無駄死にするだけ」と拒否するような男である。当然、部隊内で浮いていく。
先ず、性格設定が興味をひく。当然、『御国のため』に死ぬことは平気である猛者たちや、勝利のためには、器材不足や無理な分は『大和魂』で補えという作戦将校など、いかにも短絡的精神論で勝利できると信じている人間たちも多い。
しかし、主人公は合理的だ。少しだけ勝利するために、数少ない戦闘機や仲間をなくすことの方が問題であると突っぱねる。
対するアメリカは、圧倒的な物量である。しかし、それに目を瞑り、否や、どこか『逃げ』を覚えながら、精神論を重要視する。そういった人間たちが多かったからこそ、多くの戦死者や犠牲者をだしたのも事実である。
極端な人間たちを対比させてから、完全に劣勢な部隊を立て直そうとする主人公が際立ってくる展開。そんな兵たちの緩衝材的役柄として描かれるのが、事なかれ主義的飛行指令と新参の最年少飛行士、それと整備班長である。
そういった男たちだけの閉鎖的基地内でのドラマから、何度か戦闘シーンが挿入される。
当然、当時の日本映画であるから、現存するゼロ戦などは存在せず、すべてがミニチュア・ワークによる『特撮』である。
しかも予算の関係で、「チャチさ」を感じさせる。しかし、そこにこそ、CGとは違う『ぬくもり』と『職人気質』が伝わってくるのだ。
製作当時は、既にカラー作品が主流であったが、敢えて白黒作品にしたことが、そのチャチな特撮を上手くカバーしていると感じるし、本作が黒澤明組の助監督から、一本立ちしての初監督作となる森谷司郎の心意気を感じた。
この監督は、後期は「八甲田山」(1977)などを撮るが、どちらかというと、こじんまりとした上に『東宝ニュー・シネマ』と呼べるようなドライだが重苦しくない青春映画ばかりを輩出していく監督である。
ゆえに、どこか本作も負け戦という悲壮感より、ウェット感を伴わない起伏と緩急のついた作劇で見せていく。ストーリィも二転三転するように練られ、飽きずに見ていける。
決して大作ではないが、コンパクトにまとまった作品であり、いかにもの日本製戦争映画とは違うティストが漂い、そこそこ面白い作品に仕上がっている。