スタッフ
監督: ルキノ・ヴィスコンティ
脚本: スーゾ・チェッキ・ダミーコ、
ルキノ・ヴィスコンティ
撮影: G・R・アルド、ロバート・クラスカー
音楽: アントン・ブルックナー
キャスト
リヴィア / アリダ・ヴァッリ
マーラー中尉 / ファーリー・グレンジャー
ウッソーニ侯爵 / マッシモ・ジロッティ
セルピエーリ侯爵 / ハインツ・モルグ
ラウラ / リーナ・モレッリ
クララ / マルチェッラ・マリアーニ
ボヘミア出身将校 / クリスチャン・マルカン
クライスト大佐 / トニオ・セルヴァルト
ヴェネツィア地区指令 / クリストファー・デ・ハルトゥンゲン
日本公開: 1955b年
製作国: イタリア ルクス作品
配給: イタリフィルム、NCC共同配給
あらすじとコメント
ヴィスコンティ作品で繋げてみた。「山猫」(1963)同様、イタリア統一前夜という激動の時代を背景に描く、一大メロドラマ。
1866年イタリア。オーストリア占領下のヴェネツィア。フェニーチェ劇場で歌劇が催されている最中、突如、観客のヴェネツィア市民たちから、「蜂起せよ!」のビラがまかれ、場内は騒然となる。
その中に、セルピエーリ伯爵夫人であるリディア(アリダ・ヴァッリ)がいた。しかも先導者の一人は彼女のいとこであった。
彼は騒ぎの最中、勢いでオーストリア軍中尉マーラー(ファーリー・グレンジャー)に決闘を申し込む。このままでは、いとこが殺されると案じたリディアは何とか亭主に事態の収拾を嘆願した。
しかし、オーストリアに傾倒している伯爵は拒否。意を決したリディアは、直接、マーラーに回避を申しでたことから・・・
ヴィスコンティお得意の『滅びの美学』を謳い上げる不倫ドラマ。
上流社会の人間として何不自由なく暮らしてきた中年の伯爵夫人。そんな彼女が敵であるオーストリア軍の若い将校と恋に落ちる。
しかし、相手の男はどこか不敵な感じで、危険な香りも漂う。だからこそ、『恋』に疎かった中年女が燃え上がる。
ある意味、有閑夫人がホストに入れ揚げる的な話で、解りやすい設定だ。
しかし、時代背景が違う。「イタリア統一」前夜という激動の時代。これは、やがて貴族階級が滅亡していく切っ掛けであり、且つ、不倫相手が服務するオーストリアも結果として、敗北していく運命である。
つまり、主役二人の先行きも決して、簡単なハッピー・エンドには、ならないということは歴史が証明しているのである。
ヴィスコンティ監督は、単純なメロドラマ的「不倫話」を盛上げるために、激動の時代を上手く取り入れ、迫力ある戦闘シーンから、豪華絢爛なるホンモノの装飾品や建物を使って謳い上げていく。
どのヴィスコ ンティ作品にも共通して言えるのは、すべてのカットが計算し尽くされた、まるで一枚の絵画のような画面構成であるということ。
本作も然り。それは、裏寂れた街角の暗がりであったり、壁の漆喰が剥げ落ちた汚い建物の外壁などに至るまで素晴しく、息を呑む美しさがある。
そして、そういった背景の中で、見事に浮かび上がる豪華な衣装の数々。軍服も然りである。どちらかというと実戦用のものではなく、礼装用なのであるが、それでも金ボタンなどをあしらい、実に優美である。
戦闘シーンでも、生臭さよりは、モザイクのような展開を見せる人海戦術場面など、実に優雅。
自分自身、本作は劇場で未見であるのだが、かつてマーティン・スコセッシ監督による「私のイタリア映画旅行」(1999)という、イタリア映画の歴史を壮大に描いた長編ドキュメンタリーを劇場で見たとき、本作の冒頭のフェリーチェ劇場のシーンが映しだされ、ゆっくりとカメラが劇場内をパン移動するだけの場面で、その圧倒的な迫力と美しさに総毛だった。
その時、自分自身がフェリーチェ劇場に居合わせていると錯覚するほどの臨場感であった。
当然、テレビ画面で観客が映画を見るという意識はなかったであろう。
やはり、映画は劇場で見るべきものであると感じさせる作品。