スタッフ
監督:フランクリン・J・シャフナー
製作: ピーター・バート、マックス・パレヴスキー
脚本: デニー・バート・ペティット・クラーク
撮影: フレッド・ケーネカンプ
音楽: ジェリー・ゴールドスミス
キャスト
ハドソン / ジョージ・C・スコット
エディ / デヴィッド・ヘミングス
ラルフ船長 / ギルバート・ローランド
リル / スーザン・ティレル
ウィリー / リチャード・エヴァンス
オードリー / クレア・ブルーム
トム / ハート・ボックナー
デヴィッド / マイケル=ジェームス・ウィクステッド
ジョセフ / ジュリアス・ハリス
日本公開: 1978年
製作国: アメリカ P・バート&M・パレヴスキー・プロ作品
配給: パラマウント、CIC
あらすじとコメント
今回もヘミングウェイ原作。数ある彼の映画化作品の中でも、個人的に好きな一本。何故なら、彼らしさが凝縮されていると感じる作品ゆえだ。
1940年。西インド諸島バハマにあるビミン島。元天才と呼ばれた画家兼彫刻家のハドソン(ジョージ・C・スコッ ト)は、浮世を捨て、魚釣りに明け暮れる日々を送っていた。だが、既に第二次大戦が始まっており、ドイツのUボートが近くに出没し、艦船に被害を与えるようになっていた。
そんなある日、二度の離婚暦がある彼の元へ、最初の妻の息子、二度目の妻の息子デヴィッド(マイケル=ジェームス・ウィクステッド)と、弟の計三人がやって来た。戸惑うハドソンだが、デヴィッドだけは、父親を毛嫌いし、懐こうとしない。
わだかまりを残したまま、彼は息子たちを連れて、カジキを釣りにでかけたが・・・
ヘミングウェイの自伝的要素の強い作品。
原作は彼の死後10年経ってから発表されたもの。あまりにも実体験が反映されているため、10年近くかかっても書き上げられず、ある意味、彼自身が途中放棄していた。
その中のひとつのエピソードを短編として世に送りだしたのが『老人と海』である。
本作は、『子供たち』、『女』、『旅』という三つの章から形成されている。
上記したストーリィは、その一番目の『子供たち』であるが、これが実に『老人と海』に酷似している。老人と子供の差こそあれ、「男」として、自分より大きな力を持つカジキと長時間に渡って対峙するのだ。
第二部の『女』では、最初の妻が、彼を訪ねて来るという展開。お互い、一緒に暮らしたパリ時代を懐かしみながら、まだ、どちらにも未練が残っていると感じさせる、大人の心情を描く。
このシークエンスは『日はまた昇る』で描かれた雰囲気が漂う。
そして、第三章の『旅』は、深手を負った仲間の船長の代わりに、密航者であるユダヤ人家族をドイツ軍から守り、亡命させようとする内容。
これは『脱出』に近い設定である。
つまり、これまでに散々、映画化されたへミングウェイ作品を見て来た人間には、思わず、ニヤリとさせられる筋運びなのである。要は、それまでの作品群の集大成とも呼べる作品に仕上がっているのだ。
ただ、そういったことをかなり意識したシャフナー演出は、敢えて、違いを強調させようとした結果、『静かさ』だけを追求し、リズム感が一定せず、編集のメリハリなど混乱しているとも感じた。
しかし、それを補って余りあるのは、主演を演じたジョージ・C・スコッ トの圧倒的な存在感。
それまでは、ここでも幾つか紹介したが、ゲーリー・クーパーやグレゴリー・ペック、ロック・ハドソン、タイロン・パワーといった二枚目ばかりが主役を演じてきたが、老境に差し掛かった寂寥感や孤独感を、へミングウェイそっくりに演じ切ったスコットには脱帽する。
他にも、元妻を演じたクレア・ブルームの妙な中年女の魅力や、主人公を慕う仲間役のデヴィッド・ヘミングスや、子供たち三人といった、適材適所の役者陣が、実に良い味をだしている。
実際にロケされたのはハワイのカウアイ島なので、どこか見知った景観が登場し、それを知っているとバハマには見えないのであるが、広大な海をバックに流れるジェリー・ゴールドスミスの音楽が素晴しいので、違和感はない。
アクション場面もあるが、統一して、実に静かな印象を与えている作品にして、これぞへミングウェイだと、個人的には一番感じさせてくれる小品。