スタッフ
監督: マイケル・チミノ
製作: ロバート・デイリー
脚本: マイケル・チミノ
撮影: フランク・スタンリー
音楽: ディー・バートン
キャスト
サンダーボルト / クリント・イーストウッド
ライトフット / ジェフ・ブリッジス
レアリー / ジョージ・ケネディ
グッディ / ジェフリー・ルイス
メロディ / キャサリーン・ベック
カーリィ / ゲーリー・ビジー
校舎の観光客 / ジーン・エルマン
溶接工 / バートン・ギリアム
駅員 / タブ・テイラー
日本公開: 1974年
製作国: アメリカ マルパソ・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
イーストウッド繋がり。監督が本作以後、「ディア・ハンター」(1978)、「天国の門」(1981)を発表するマイケル・チミノというところに着目した。コメディ色の強い展開と、妙な郷愁を感じさせるB級感漂う作品。
アメリカ、アイダホ。田舎の小さな教会で説教をしている牧師姿のサンダーボルト(クリント・イーストウッド)は、突然、入って来た男に銃撃される。慌てて逃げだした彼は、偶然、通りかかったライトフット(ジェフ・ブリッジス)の車に救われた。
しかし、ライトフットはその車を中古車屋から盗んできたばかりだった。だが、サンダーボルトを見て、自分と同じ匂いがすると感じるライトフット。
自分より10歳も年上の相手に、しばらく一緒にいないかと誘うが・・・
アメリカン・ニュー・シネマの流れを汲む郷愁溢れる犯罪モノ。
メインは犯罪者である男二人のロード・ムーヴィー的進行に始まり、主人公のかつての犯罪仲間たちが絡んでくるという、ありふれたものだが、それを敢えて、大雑把に進行させながらも、違うカラーを醸しださせていくという展開で見せていく。
冒頭で、主人公を襲ったのは以前の犯罪仲間なのだが、それは主人公が持ち逃げし、どこかに隠した大金のありかを力付くで聞きだそうとしているということが解ってくる。
その相棒コンビが、馬鹿らしくて秀逸なキャラクター設定なのだ。
演じるのは、大好きな、大好きな脇役のひとり、ジョージ・ケネディ。190センチを越える巨漢にして、いつもは頼り甲斐のある好漢という役どころが多いが、今回は『直情型単細胞』。
もうひとりは、以後、イーストウッド作品の常連となるジェフリー・ルイス。こなたは気の弱い『間抜けな善人』というイメージで描かれる。
この追う側の凸凹コンビが本作の白眉である。一方で、主人公を演じるイーストウッドは飄々とした犯罪者であり、相棒となるブリッジスは、女好きの「とっぽい兄ちゃん」という設定。
主要四人のキャラクターを際立たせるための設定だろうが、若い主役二人よりも、完全に『格』が違うと感じさせる実力に唾飲を下げた。
常にコメディ色が反映される展開の中、ニュー・シネマのロード・ムーヴィーっぽい『個性的』な人物が次々と登場してきては、一期一会よろしく消えていく。
そして、やがて彼ら四人で再度、グループを組み、金庫の大金をせしめようとする展開になるから滑稽である。
しかも、普通の作品ではあり得ない力ずくのアイディアで平然とやってのけるという豪胆さ。
完全にコメディである。ゆえに犯行を実践するシーンでも、往年の犯罪映画へのオマージュを捧げるでもなく、悠然と進行する不思議さ。
監督は、ある種、悲劇的なマイケル・チミノ。元々は脚本家であるが、「ダーティーハリー2」(1973)でイーストウッドに見初められ、本作の監督に抜擢された人間。そして、傑作「ディア・ハンター」を作り、「天国の門」で完全にドロップ・アウトする男。
本作は、そんなチミノ監督の自身の思い入れを試行錯誤させながら、どこか思い悩む神経質さが滲んでいると感じた。
牧歌的で叙情的な雰囲気の中で、進行する犯罪劇を描こうと惨憺し、一見すると相反する題材をどうにかマッチさせようとしている。「ニュー・シネマ」を更に派生させた、「ニュー・ニュー・シネマ」とも呼べるようなタッチ。
だが、その監督の思い入れを見事に映画として完結させたのは、監督の力量ではないのが妙に可笑しい。何故なら、それは決して主役を張れるタイプではない、ジョージ・ケネディとジェフリー・ルイスのヴェテラン脇役の中年の二人なのだから。
自分が犯罪者であったら、絶対に組みたいと思わない二人だからこそ、その妙味に笑みがこぼれるのだ。
どこか浪花節的な主役二人を盛り立てようと抑えた演技ゆえに際立つと感じるのは、自分も人生の主役を張れるタイプでなく、且つ、どこか抜けているところにシンクロするからであろうか。
ハッキリ言って、そんな斜目で見るに相応しい作品かもしれない。