運命の饗宴 – TALES OF MANHATTAN(1942年)

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スタッフ

監督: ジュリアン・デュヴィヴィエ
製作: ボリス・モロス、S・P・イーグル
脚本: ベン・ヘクト、アラン・キャンベル 他
撮影: ジョセフ・ウォーカー
音楽: エドワード・ボール

キャスト(第二話以降のみ)

ダイアン / ジンジャー・ロジャース
ジョージ / ヘンリー・フォンダ
スミス / チャールス・ロートン
ベリーニ / ヴィクトル・フランサン
スミス夫人 / エルザ・ランチェスター
ブラウン / エドワード・G・ロビンソン
ウィリアムス / ジョージ・サンダース
コステロ / J・キャロル・ネイシュ
エスター / エセル・ウォルタース

日本公開: 1946年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス


あらすじとコメント

前回、前々回と『共通の物』が、多数の人々の

運命を左右してゆくオムニバス映画だった。今回も同じスタイルにして、しかも秀作。

アメリカ、ニュー・ヨーク。大人気の舞台俳優オーマン(シャルル・ボワイエ)が、新調したばかりの衣装である

燕尾服を着たままカーテン・コールもせず、大邸宅に

住む愛人のエセル(リタ・ヘイワース)の元へ走った。

しかし、彼女は人妻である。しかもパーティーの真っ最中だった。嫉妬深い彼女の夫(トーマス・ミッチェル)に、気遣いながら、

一刻も早く離婚して、共にブラジルへ旅立とうと誘った。

それに気付いた夫は、酔っ払いながらも、突然、

猟銃の手入れをすると言いだして・・・

一着の『燕尾服』を通して描かれる人間ドラマの傑作。

「燕尾服」。「夜会服」とも呼ばれる、後ろがツバメのように、ふたつに長く割れている男性が着用する『第一級正装』のジャケットだ。

通常、市井の人間たちが着用するチャンスなど、人生に於いて一切ない代物である。

そんな『燕尾服』が、恭しく高級洋服店の四人の手によりホテルの超高級スイートに届けられるところから始まる。

当然、正絹製のオーダー・メイドである。だが、その服を裁断した人間がモメて退職し、捨台詞で「着用した人間は不幸になる」と言ったと明かされる。

この時点で本作の方向性が決定付けられる。そして俳優の手から、彼の執事が借金のかたに執事仲間に渡す。これが第二話のスタート。

手にした執事が仕えるのは、結婚式を今晩に控えた遊び人。そこにジンジャー・ロジャース扮する新婦がやって来て、燕尾服の中から、別な女性からの強烈なるラブレターを発見。それを知った新郎が、慌てて親友のヘンリー・フォンダを呼び、実は昨晩、燕尾服を間違えたと言わせようとしたことから起きるシニカルな内容。

次は、チャールス・ロートン扮する貧乏音楽家が、気難しいが審美眼のある大指揮者に認められ、急遽カーネギー・ホールでタクトを振ることになるが、当然、燕尾服など持っている

はずもないという話。

第四話は、現在は落ちぶれ、スラム街でホームレスになった、

超名門大學を卒業したエドワード・G・ロビンソン演じる弁護士へ25年振りに同窓会の手紙が転送されてくるのだが、という話。

最後は、ニュー・ヨークを離れ、南部の黒人しかいない小さな貧村が舞台になる。だが、そんな場所で燕尾服は、一体、何の役に立つのか。

いやはや見事な展開を見せる脚本に唸った。

しかも、各エピソードで主演を演じるのは、全員が

主役級のキラ星のごとき名優たち。

上流の象徴である「燕尾服」が、徐々に、その手の服に

縁がない人間の手に渡っていく。エピソードごとに悲劇あり、コメディ、人情噺、説法

と欲張った展開だが、それが数珠繋ぎとなり、見事に昇華していく。

極端なズーム・アップやドリー(移動)など、撮影手法を各話ごとに替え、違う作品を見ているかのような錯覚に陥らせるが、それでも、ピシッと一本、筋の通った展開である。

どの話も膨らませれば、それだけで一本の作品に成り得る内容をテンポ良く捌き、満腹感を味わえる。

昨今、まったくなくなった類の映画であり、

つまらないエピソードもなく、どれが一番のお気に入りかを誰かと話したくなる傑作である。

余談雑談 2010年12月4日
この発行にかなりの影響を及ぼしている新型に変更してからの『パソコンの乱』。どうやら面倒くさい方向で結末を迎えそうだ。ま、自身の力不足を少し克服すれば、何とかなるかとあきらめるしかない。 しかし、どうにも克服できないのが『懐の余裕』だ。しかも