サイコ – PSYCHO(1960年)

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スタッフ

監督:アルフレッド・ヒッチコック
製作:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:ジョセフ・ステファノ
撮影:ジョン・L・ラッセル
音楽:バーナード・ハーマン

キャスト

ノーマン / アンソニー・パーキンス
マリオン / ジャネット・リー
ライラ / ヴェラ・マイルズ
サム / ジョン・ギャヴィン
アーボガスト / マーティン・バルサム
チェンバース保安官 / ジョン・マッキンタイア
リッチモンド医師 / サイモン・オークランド
ローリィ / ヴォーン・テイラー
キャロライン / パトリシア・ヒッチコック

日本公開: 1960年
製作国: アメリカ A・ヒッチコック プロ作品
配給: パラマウント


あらすじとコメント

前回は尋常でないサイコ野郎が主人公を恐怖のどん底に突き落とすサスペンスだった。その『サイコ野郎』の語源になったヒッチコックの傑作。

アメリカ、アリゾナ州フェニックス。不動産会社に勤務する美しいマリオン(ジャネット・リー)は、

恋人のサム(ジョン・ギャヴィン)とホテルで昼下りの逢瀬を楽しんでいた。しかし、サムは父親の借金を背負い、別れた妻への慰謝料に追われていた。それらが片付けば、晴れて結婚できるのだが、と互いがため息をついた。一足早くホテルをでて会社に戻ったマリオンは、彼との先行きに不安を感じ、同僚に頭痛がすると訴えた。そこへ社長が、成金の顧客と帰ってきた。娘の結婚の祝いで新居を買おうというのだ。しかも、4万ドルをキャッシュで払うと言う。事務所に大金を置きたくないという社長はマリオンに銀行に預けるように命ずる。彼女は銀行へ行ってから、頭痛がひどいのでそのまま直帰すると答える。

しかし、彼女の心に魔が差した。マリオンはそのまま家へ帰り、荷造りをすると現金を持って街をでる。

目的地はサムが住む町だ。夜通し走ったマリオンは、疲れて路肩に車を止めて仮眠を取った。翌朝、 彼女の車を発見した警官が、近付いてくる。その警官は一瞬にして、彼女の挙動に不審を感じる。だが、何の証拠もない。逃げるように走り去るマリオンの車をなおも追跡。彼女は町の中古車屋に入ると車を買い替えた。益々、怪しい。しかし、何の証拠もない。

マリオンは新しい車でひた走りに走り、やがて一軒のモーテルへ入る。『ベイツ・モーテル』旧道にひっそりと忘れ去られたようにある宿だった。そこには若く神経質そうなノーマン(アンソニー・パーキンス)と心に病を持つ母がいるだけだったが・・・

映画史上に燦然と輝く超有名作。

「スリラー」映画の巨匠ヒチコック自身が本作をたった一言「ホラー」といった作品でもある。

映画自体は二部構成の趣だ。前半は真面目な女性がふと大金を盗み、逃避行をするサスペンス劇。いかにもヒッチコックが得意とする題材を細かい心理描写や不安感を煽るカットで見せていく。しかし、彼女がモーテルに行ってから、突然、変調する。

その瞬間がシャワー・ルームのシーンだ。映画という媒体が存在する限り、忘れ去られることは絶対にない場面。そのあまりにもショッキングな展開に、見たものは間違いなく一生忘れないであろう。音楽、カット割り、見事に緩急の付いた編集。そして白黒画面ゆえのいびつな恐怖。1分少々の場面だが、強烈だ。

このシーン以後、映画は更に、マリオンの妹、私立探偵、地元の保安官などが次々に登場してきて、ホラーティックにサスペンスが盛り上がっていく。

シャワー・ルームの場面以外にも、映画史上に残る名場面が数々でてくる。例えば、母屋で起きる私立探偵のショッキングなシーンは、既に観客に恐怖のイメージが植え込まれているので、震えが来るほど。階段を上がる私立探偵そのもののサイズは変わらないのに、背景だけが流れるように動く。見事なまでに観客の不安感と不安定感が増幅される瞬間。

また、本作で強く感じるのは『妙な関連性』。姉と妹の見事なる相似性。パーキンスとジョン・ギャヴィンが同一画面で見せる不思議な類似性。そして主人公と母親の相関性。

数々の見事なる関連と対比に、何故か見る側の恐怖が刷り込まれ増長していく。他にも、さり気ない細かい描写にドキッとさせられたり、と緩急の付いた編集が絶妙のアンバランス感を増幅させていく。ラストまで眼が離せないが、そのラストの『顔』に夜眠れなくなった。

撮影中から完全に報道管制を敷き、劇場でもラストの30分は途中入場が禁止された。こういうことはこれまでも多々あったが、本作は、その大風呂敷的な扇動も頷ける仕上がりだ。それほど見事。

しかも、以後「サイコ野郎」という俗語ができたほどだ。実際の「サイコ」の意味は『深層心理』。難しい専門用語だ。しかし、タイトルそのものがひとり歩きしてしまう。例えば「ジョーズ」(1972)なども同類であろう。本来は『顎』であるが、「ジョーズ」イコール『鮫』。本来の意味が変わるほど、公開後に強烈なイメージを与えた作品である。

その上、主役のアンソニー・パーキンスは本作でイメージが確立してしまい、単なる二枚目の役が出来なくなったほど。実際、ヒットコックの死後も、本作の呪縛から抜けられず、「サイコ2」(1983)から、4作までシリーズ化した。

本作はガス・ヴァン・サントが1998年にヴィンス・ヴォーンでリメイクしたが、やはりオリジナルは越えられなかった。オリジナルを忠実に再現しているという趣だったが、決定的な相違がある。それはモノクロとカラー。特に鮮血は、例えホンモノの血液を使ったとしても、本作の白黒画面で見るほうが、よほどリアルで気色悪い。

断言できる。映画の流れを完全に変えた傑作だと。

余談雑談 2007年4月7日
東京では名残の櫻になった。とは言え、今年は温暖の差が激しかったので、いつもより長く咲いている。 住まいが櫻の名所に隣接しているので、毎日が花見という幸運。酔客たちの連夜の騒乱には目を瞑るとして、やはり日々変わる風情は見事だ。風がなくても、力