スタッフ
監督:ポール・マザースキー
製作:パトー・カズマン、P・マザースキー
脚本:レオン・カペタノス、P・マザースキー
撮影:ドナルド・マッカルパイン
音楽:デヴィッド・マクヒュー
キャスト
ウラジミール / ロビン・ウィリアムス
ルチア / マリア・コンチータ・アロンゾ
ライオネル / クレヴァント・デリックス
ラミレス弁護士 / アレヤンドロ・レイ
ボリス / サヴェーリ・クラマロフ
アナトリー / エルヤ・バスキン
ユーリ / オレグ・ルドニック
ウラジミールの祖父 / アレクサンドル・ベニャミノフ
ライオネルの祖父 / タイガー・ヘインズ
日本公開: 未公開
製作国: アメリカ コロンビア作品
配給: なし
あらすじとコメント
紹介作品も100本目となった。少し目先を変える意味でも敢えて触れてこなかった作品にも食指をだすことにする。それは日本未公開作。
前回、前々回とロシアの人間が西側で自由主義に感化される作品だった。今回も同じ。しかし舞台がパリからニュー・ヨークへと変わる。自由も何かと大変であると痛感させられる作品。
米ソ冷戦下の時代。モスクワに住むウラジミール(ロビン・ウィリアムス)はサーカス団のサックス奏者だ。元コメディアンで時々反体制を口走る祖父や、体制に従順な父などと自由とは縁遠い暮らしをしていた。
そんな彼が所属するサーカス団が親善友好のため、ニュー・ヨーク公演に行くことになる。すると彼の親友で道化師のアナトリー(エルヤ・バスキン)が、NYで亡命すると言ってきた。気持ちは解るが、残された家族たちはどうなると説得するウラジミール。彼の気持ちを知ってか知らずか、KGBのお目付役ボリス(サヴェーリ・クラマロフ)は、日頃から挙動不審なアナトリーを監視するようウラジミールに命じ、NYのホテルで同室にさせられてしまう。しかし、いざとなると決断できないアナトリー。
公演が終了し、最後の自由行動でブルーミングデール百貨店で買い物をする一行。何とか、自分を奮い立たせて亡命しようとするアナトリーだったが、結局、行動を起こせない。「ダメだ。所詮、自分は籠の鳥だ」そう言って、肩を落とす。それを見たウラジミールの心に火がついた。突如、化粧品売り場のルチア(マリア・コンチータ・アロンゾ)と警備員のライオネル(クリーヴァント・デリックス)に助けを求めた。「自分は亡命したい」
突然の行動にボリスたちがウラジミールを確保しようとデパート内は大騒ぎになる。警察が駆けつけ、マスコミもやってきて、遂にはFBIまで出動してきた。ソ連政府の代表としてウラジミールを引き渡せと激昂するボリスに対して、彼は大声で叫んだ。
自分はここでアメリカに亡命する、と・・・
虐げられ抑圧された社会から自由を謳歌できる状況になって人間は何を感じるのかを描く秀作。
常に配給制で、それでさえ極寒の中、行列をしないと手に入らない世界。一方、金さえ払えば、好きなものが自由に手に入る世界。結論としてアメリカ万歳という作品ではある。しかし、逆に自由とは思想統制のある国と違い、個人の意見を尊重するが、責任と孤独が常について廻るということを教えてくれる。
以後、映画は主人公が束縛されたところから、理想としていた自由社会の現実のギャップに戸惑っていく展開になる。それを繋いでいくのが名曲「A列車で行こう」。ジャズの巨匠デューク・エリントンが作り、タイトルはハーレムを通るNYの地下鉄のことを指している。主人公がサックス奏者ゆえ、実に上手い使い方で、数度でてくる。
亡命した主人公を何かと手助けするのが、イタリア女と黒人の男。その女はイタリアの田舎からの移民で現在、アメリカ市民権を取得しようとしている立場。また、主人公の市民権取得を手助けする弁護士も元キューバ難民。道を知らないタクシーの運転手は日本人。そして自国では医師だったがNYでは皿洗いしかできないアラブ系の男。他にもインド人医師、同胞のロシア人、男色家、女性ホームレスなど様々な人物が登場し、点描されていく。つまり、アメリカとはいかに移民国家であるかを強調させていくのだ。しかもそこには、痛烈なる差別が含まれている。
そして主人公はホット・ドッグ売りから、マクドナルドの店員、タクシー運転手、リムジンの運転手へと英語を覚え、街に同化していくにつけ、変わっていく。恐らく、普通の移民はこのようにアメリカに馴染んでいくのだろうと。
やがて恋人が出来るとセックスに夢中になるが、今度は、生まれ育った国の国民性や価値観が影響し、複雑な心情に陥っていく。アメリカに対して持っていた夢が、実際に暮らすようになって感じる差異がジレンマとなり、いびつに形成されていくのだ。だからこそ、孤独を痛感したときにそれぞれのコミュニティに逃避していくのだ。それでもダメな人間は母国に帰って行く。
だが、主人公の国は、当時、帰国することが出来ないのだ。自由は謳歌しているが心では絶望を忘れていない、という独白が心に沁みる。
終盤、主人公の孤独がどんどん際立って行き、自由のつらさを痛感したときに、ふと訪れた裏寂れたダイナーで見知らぬ移民たちが自然派生的に「独立宣言」を暗唱するシーンには、鳥肌が立ち、胸が熱くなった。それは中盤で、イタリア女が遂に市民権を得るときに、取得者全員で『米市民としての忠誠』を満ち足りた顔で宣誓するシーンがでてくるので、その、あまりの差に万感迫るためだ。つまり、アメリカ市民となったときの喜びから、やがて現実の厳しさに打ちひしがれて、ひっそりと生きていくしかないという孤独。
異邦人ばかりの国で生きていくという戸惑いと孤独と、だからこそ自由が謳歌できるという大いなるアメリカ賛歌。自分の夢や実力を試し、成功するにはアメリカが一番という人もいるだろう。そんなアメリカに憧れ、いつかアメリカで夢を実現したいと思っている方には必見の映画。
また、ヨーロッパだろうと日本だろうと、『自分の生まれ育った国』の意義を考えさせられるし、自分たちが、ふと簡単に口にする『自由』の本質を痛烈に感じさせてくれる秀作。