日本のいちばん長い日      昭和42年(1967年)

メルマガ会員限定

画像を表示するにはメルマガでお知らせしたパスワードを入力してください。

スタッフ

監督:岡本喜八
製作:藤本真澄、田中友幸
脚本:橋本忍
撮影:村井博
音楽:佐藤勝

キャスト

阿南陸軍大臣 / 三船敏郎
鈴木総理大臣 / 笠智衆
米内海軍大臣 / 山村聡
東郷外務大臣 / 宮口精二
古賀少佐 / 佐藤充
畑中少佐 / 黒沢年男
下村情報局総裁 / 志村喬
徳川侍従 / 小林桂樹
不破大佐 / 高橋悦史
ナレーション / 仲代達矢

製作国: 日本 東宝作品
配給: 東宝


あらすじとコメント

8月15日。この日は日本人が忘れてはいけない日であると思っている。今から63年前、この国で何が起きたのか。

昭和20年7月26日。唯一、連合国に対して戦争を継続している日本に降伏を要求するポツダム宣言が海外放送で傍受された。しかし日本政府はそれを受諾するか拒否するかで結論がでず、連日紛糾していた。その間に広島、長崎に原子爆弾が投下され、8月8日にはソ連が日露不可侵条約を破棄し、侵攻してきた。もはや、反撃にでるための主たる火力もなく、更に別な原子爆弾が投下される可能性もあり、一刻の猶予もなかった。

内閣府では即時ポツダム宣言受諾を主張する東郷外相(宮口精二)に対し、天皇陛下の大権存続を確立させるべきだと強硬論を主張する阿南陸相(三船敏郎)などの意見が対立し、混乱の極みだった。結論がでず、遂に鈴木首相(笠智衆)は、天皇に直接の決裁を求めた。

8月14日、天皇は自ら、「私自身が如何になろうとも国民にこれ以上の苦痛をなめさせることは私には忍べない」と発言され、終戦が決まった。

しかし、陸軍の一部に『徹底抗戦』を主張し、天皇を和平派から隔離し、東京に戒厳令を敷こうという青年将校たちが決起してしまって・・・

どんな主義主張を持とうとも、一度は見ておくべき大作にして力作。

イタリア、ドイツが降伏し、もはや世界を敵に回して戦争を続けていた唯一の国、日本。

敗戦が決定的になっていたにもかかわらず、『一億総玉砕』を主張し、この世から日本人が消滅しても構わないと真剣に思っていた人間がいた。方や、相手も人間であり、我々以上に心優しく信用に値すると説く者もいた。また、天皇の生命と権限の存続を確約させるまではポツダム宣言を受諾してはならぬと譲らぬ者がいた。本作で描かれるのは主に、そういった政府と軍関係者たちの姿である。

言論や思想の自由はなく、反抗するものは力によって弾圧された時代。それでも自分の主義主張を通し、殺されていった人間も多い。しかし、本作ではそういった市井の国民たちが心ではどう考え、何を感じていたかはほとんど描かれない。

戦争を終えるときに政府とそれに近い人間たちの中で、一体何が起きていたのか。

元になっているのは文芸春秋の記者たちが徹底的に取材した内容を大宅壮一が編集したもの。すべてが当事者たちから聞いたことである。

確かに反戦や反天皇制を唱えるものはでてこない。それゆえ片手落ちと感じる人も当然いるだろう。しかし、ある意味、ひとつの価値観に偏り、それを信じ、命を賭してきた日本人がいたのは事実。国民は嘘の情報に翻弄され、洗脳され、それに従わざる者は人間でないとまで言われた時代。

それを先導してきた人間たちが、『初めての敗戦』という事実に対してどういう行動を取ったのか。

それを当時のオールスター・キャストで映像化した。出演している役者たちも、ほぼ全員が戦争体験者である。俳優にも個人的には様々な主義主張があったことだろう。しかし、実際に戦争を体験してきた人間たちだ。全員が鬼気迫る演技で、その迫力は壮絶ですらある。

本作を見直してそのことを痛感し、また、手元にあるパンフレットを見て、驚くことを多く発見した。例えば、無声映画の弁士から洒脱なコメンティターとして活躍した徳川夢声の8月14日の日記の抜粋。『二日ほど前、杉並上空に原子爆弾が投下されると言う噂があったので家族全員を多摩の山奥に避難させていたが、妻と三女が帰宅し、死ぬなら家族一緒の方が良いから、一雄を呼び戻そうと思うのよ。その息子一雄は信州へ疎開さしていたのだった』

その他にも、俳優たちへの質問と答えが書いてある。『昭和20年8月15日、あなたはどこで何をしていましたか。そして、終戦を知ったときどう感じましたか』

当時33歳だった加東大介は西部ニューギニアのジャングルの中で演芸分隊を作り慰問公演をしていて、死んだ大勢の戦友のことを考えさせられたと述べ、志村喬は映画のロケ撮影中で、ただただ泣けて仕方なかったと記し、平田昭彦は陸軍士官候補生として訓練中で、徹底抗戦と考えた。そして三船敏郎は陸軍航空兵として特攻基地に服務中で、快哉を叫んだと書いてある。他にも学童疎開中の仲代達矢は、日本が負けたのに自分もまわりの自然も変わらないで存在することが非常に不思議でしたと結んでいる。

これらには宣伝部の加筆があるかもしれないが、それでも、それぞれに戦争が存在していた。

仕事や生活に疲弊し、生きる気力をなくした中高年の人々や、自分は他人に理解されず、かつコミュニケートする能力が足りなから孤独であると痛感している若者などに、是非、見てもらいたい。

国民のことよりも優先されるべきことがあるという偏った信念ゆえ、未だにアジア諸国から蔑視されている片鱗も覗けようし、滅びの美学を感じる人もいよう。

感性はそれぞれだ。しかし、自由に生きる権利もなく、言論の自由もない。そんな世に生まれ死んで行った人間たちの上で、現在の自分たちが、それぞれの立場や価値観で悩みながら生きていることを知ってもらいたい。

余談雑談 2008年8月15日
夏らしい都々逸を一句。 「恋にこがれてなく蝉よりも なかぬ蛍が身をこがす」うるさく自己主張するよりも、黙って心に秘める。いかにも昔の日本人らしい発想ではあるが、現代では逆に、怨念のようなものを感じるかもしれない。 しかもこういった態度や雰囲