スタッフ
監督:ピエトロ・ジェルミ
脚本:ピエトロ・ジェルミ、エンニオ・デ・コンチーニ
アルフレード・ジャンネッティ
撮影:レオニーダ・バルヴォーニ
音楽:カルロ・ルストゥケッリ
キャスト
フェルデナンド / マルチェロ・マストロヤンニ
ロザリア / ダニエラ・ロッカ
アンジェラ / ステファニア・サンドレッリ
カルメロ / レオポルド・トリエステ
フェルデナンドの父 / オドアルド・スパダーロ
シシーナ / マルゲリータ・ジレッリ
アニェーゼ / アンジェラ・カルディナーレ
ロザリオ / ランド・ブッツァンカ
デ・マルツィオ / ピエトロ・トールディ
日本公開: 1963年
製作国: イタリア ルクス・フィルム作品
配給: 東和
あらすじとコメント
引き続き、ピエトロ・ジェルミ監督とステファニア・サンドレッリのコンビ作。カソリックの総本山があるヴァティカンを内包する国だが、昔は色々と窮屈だった。それを皮肉っぽく描いている。
イタリア、シチリア島。時は1950年代の終わり。所は人口1万8千の町アグロモンティ。24もの教会があり、信心深い人たちが住む町である。
父親の借金の為、叔父一家が半分以上を占有している邸宅に、没落貴族のフェルデナンド(マルチェロ・マストロヤンニ)が住んでいた。そんな彼は結婚12年になる妻ロザリア(ダニエラ・ロッカ)や、多少ボケ気味の父親らと暮らしていた。しかし、長い結婚生活で妻の嫌な面ばかりが目に付くようになり、フェルデナンドは叔父の19歳になる娘アンジェラ(ステファニア・サンドレッリ)に好意を寄せていた。そして彼女も彼に興味があることが解る。彼は日々、妻と離婚してアンジェラとの結婚生活を夢見始める。
しかし、イタリアの法律では離婚は出来ない。その上、叔父は大事なひとり娘に好きな男が出来たことを知り、何か起きてはいけないからと遠くの町に引っ越しをさせてしまう。益々、思いが募るフェルデナンド。そんな彼は、偶然、新聞で若い愛人が不倫相手の男を殺し、逆に同情が集まっていることを知る。その上、ここシチリアでは、妻が不貞を行った場合、亭主が名誉のために妻を殺害しても罪が軽いことを思い出す。
そして貞淑そうな妻が浮気するような相手を探し始めるが・・・
イタリア中年男の悲しい性を描いたコメディ。
カソリックの国イタリアでは、本当に1970年に離婚法が可決されるまで、離婚は出来なかった。それは『結婚』が人間だけの問題でなく、神との契約でもあると教えられてきたから。
しかもシチリアは古い因習に固執する傾向が強かったようだ。その上、男尊女卑。結婚相手は当然処女。女性は生涯、ひとりの男としか関係を持ってはいけなかった。昔、実際にあった習慣で、初夜の翌朝は寝室の窓から血の付いたシーツを掲げたそうだ。
そういった現代から見れば、信じられないようなことが当り前に行われていた。だから、劇中の叔父一家も娘の処女を守るために転居させる。つまり処女でないと価値がなくなると信じられていた。いやはや、現代ではまったくもって信じ難い風習だ。しかし、だからこそ出来た作品だといえよう。
要は古い因習に喧嘩を売った作品である。監督は人間の悲しき性を撮らせたら絶品のピエトロ・ジェルミ。だから、当然と言えば当然だが、単なるドタバタ喜劇になっていない。ただし、そこが好き嫌いの分かれ目になるとも思うが。
先ず、第一に世界的にドンファンだと思われているイタリア男も、微笑ましい一面を持っているということを教えてくれる。格好つけていても、妻の尻に敷かれ、毎日妻を殺す妄想を見る。そして小娘の寝室を覗き見する。単なるスケベ親父だ。しかも、彼の年老いた父親までが覗き見をする。
男とは単純だと教えてくれる。そんな亭主が、妻を『男としての名誉』のために殺すという展開になる。それには浮気相手が必要とばかり、色々、町の男たちを物色していく姿がおかしい。一度は『寝取られ男』として恥を受け入れる。そこまでして若い女と一緒になりたい。
現在では考えられない設定ではある。日本においても離婚率は上昇しているし、処女のまま結婚するという風習は、ほぼ絶滅したと言えるかもしれない。当然、殺す殺さないの前に離婚するだろうし、DVなどの場合は逃げだすだろう。
だから、今見ると時代錯誤も甚だしいと感じる人も多いことだろう。しかし、事実つい30数年前まで離婚できなかった国民がいるのである。しかも一応の先進国である。結果、現在のイタリアは結婚出生率が激減している。
こういった現実を見ると、かの離婚禁止法があった時代が良かったと思うイタリア人もいることだろう。しかし、彼らとて、心のどこかには浮気願望がある。
まったく、いつの時代も男は情けない。そして女は常に男の上を行き、時として悪魔になるということをこの映画は教えてくれる。
笑えるが笑えない。それが男の本音かもしれない作品。