年上の女 – ROOM AT THE TOP(1958年)

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スタッフ

監督: ジャック・クレイトン
製作: ジョン&ジェームス・ウルフ
脚本: ニール・パタースン
撮影: フレディ・フランシス
音楽: マリオ・ナッシベーネ

キャスト

アリス / シモーヌ・シニョレ
ランプトン / ローレンス・ハーヴェイ
スーザン / ヘザー・シアーズ
ブラウン / ドナルド・ウィルフィット
ソームス / ドナルド・ヒューストン
ホイレイク / レイモンド・ハントレー
ウォーレス / ジョン・ウエストブルック
エイスギル / アラン・カスバートン
ジェーン / メアリー・ピーチ

日本公開: 1959年
製作国: イギリス リーマス・フィルム作品
配給: 東和


あらすじとコメント

前回は歳の差カップルの話だった。今回も同じ。ただ、違うのは男女の年齢差が逆で、大人の女の恋模様。しかも、内容もまったくもって重い。

イギリス北部の地方都市ウォーンリー。そこの市役所の会計課にランプトン(ローレンス・ハーヴェイ)という青年が赴任してきた。第二次大戦に参戦したが捕虜となり、収容所で青春時代を過し、終戦後は片田舎の実家で悶々としていた男。何とか立身出世を夢見てやってきたのだ。

そんな彼は同僚に誘われ、素人劇団に参加することになる。そこには、大金持ちの娘スーザン(ヘザー・シアーズ)がいた。彼は自分の野望のために、彼女に取入ろうとするが、スーザンには、上流階級の許婚者がいた。許婚者は、すぐにランプトンの真意を感じ取り、歴然とした階級の違いを見せつけるように完膚なきまでにやり込めた。

プライドをズタズタにされたランプトンは劇団員たちの前から逃げるように帰ろうとした。

すると中堅どころの女優であるフランス人の人妻アリス(シモーヌ・シニョレ)が、彼を追いかけた・・・

田舎出の青年が感じる階級差と孤独な異邦人が絡む不倫ドラマ。

いかにもイギリス映画らしい陰湿さと閉塞感を漂わせた作品。「不倫ドラマ」は世界各国で数多く作られ、様々な佳作、秀作がある。

本作は不倫ドラマの古典にして秀作の「逢いびき」(1945)の流れを汲む作品ではあるが、時代とともに変貌を遂げた価値観と描き方に新味がある。とはいっても、半世紀も前の新味ではあるのだが。

簡単に言えば、野望に燃える青年とフランスから渡英し結婚したが、空虚な生活に不満だらけ中年女が織り成すドラマ。だが、歴然とした階級の差別があり、二人ともつまはじきにされているという孤独感が共通する。物語は当然といえば当然、二転三転していく。

若い娘の父親やフランス女の亭主といったイヤラしさを漂わせ権力を当り前のように振るうイギリス人の大人から、差別好きな若い仲間たち。その中で、心揺れる若き金持ち娘。

はっきりいって、誰にも素直には感情移入できない設定だ。それぞれの身勝手な思惑と複雑にゆれる若い人間たちの心模様。

ただ、そういったありがちな設定の作品をラストまで見させるのは、ひとえに主演のシモーヌ・シニョレの大人の魅力。中年女の気概と弱さを見事に滲ませ、さり気ない演技の中に狂気を漂わす。それがイギリス人とフランス人の価値観の違いを浮き彫りにさせ、若い主人公を溺れさせていく。

当時、シニョレは実生活でイヴ・モンタンの面倒を見ていた。モンタンが人気を博し、フランスきっての二枚目として君臨していった影には彼女の力なしには有り得なかったと言われている。かのアラン・ドロンでさえ、モンタンの前では小僧っ子だった。

実生活でもそれほどの影響力と魅力を持った女性。本作では彼女のそういった力量の一端を、例えば、ちょっとした眼の動きや、ひょいとさり気なく動かす手の所作などで感じ取れるだろう。事実、何度もハッとさせられ、鳥肌が立った。これぞフランス女の底力。だからこそ、映画の中でもイギリス人とフランス女の違いが際立つのだ。

監督はデボラ・カーのオカルト映画の佳作「回転」(1961)、フィッツジェラルド原作でロバート・レッドフォードが出演した「華麗なるギャツビー」(1974)などを手掛けたジャック・クレイトン。

「回転」、「華麗なるギャツビー」でも感じたが、画面に妙な水っぽさを漂わせ、かつ、ドライさをも感じさせる職人と認知している。

確かに本作も、往年のイギリス映画らしく、暗くて重い余韻を残す作品であるが、今見ると間違いなく時代性を感じるのは否めない。恋愛にしろ、階級格差にしろ、現代社会に生きるこちら側の価値感が変化したと感じた。

逆に、決して美人ではないが、人間としても、女としても匂い立つシニョレのような女優も少なくなったと痛感させられた。

作品の内容そのものよりも、当時の役者の人間としての幅に、妙に後ろ髪を引かれる。

余談雑談 2008年9月6日
先日、シネマディクトである友人と映画談義に花が咲いた。その友人はここの読者でもあり、取り扱う作品は個人的嗜好が強過ぎるとお叱りを受けた。簡単に読者が見られる作品も少なく、単なる自己満足だろうと。 敢えて否定はしない。彼曰く、読者の立場から、