スタッフ
監督: シドニー・ルメット
製作: マックス・E・ヤングスタイン
脚本: ウォルター・バーンスタイン
撮影: ジェラルド・ハーシュフェルド
原作: ユージン・バーディック、ハーヴェイ・ウィラー
キャスト
合衆国大統領 / ヘンリー・フォンダ
グレテシーレ / ウォルター・マッソー
ブラック将軍 / ダン・オハーリー
ボーガン将軍 / フランク・オバートン
グレーディ大佐 / エドワード・ビンズ
通訳バック / ラリー・ハグマン
カッシオ大佐 / フリッツ・ウィヴァー
スターク将軍 / ラッセル・ハーディ
コリンズ軍曹 / ドム・デルイース
日本公開: 1982年
製作国: アメリカ コロンビア作品
配給: インターナショナル・プロモーション
あらすじとコメント
前回が、理想のアメリカ大統領を扱ったファンタジーだった。今回も、架空の話だが、大統領はこんなにもつらいという絶望感に襲われる作品。
米ソ冷戦下のアメリカ、アンカレッジ。グレーディ大佐(エドワード・ビンズ)率いるB52戦略爆撃機編隊が哨戒飛行に出発した。一方、オマハにある戦略空軍司令部では、上院議員たちによるコンピューターの最新式管理システムの見学が行われていた。
突然、訓練中のグレーディ大佐の機に緊急指令が入電される。『指令811 ターゲットはモスクワ』。ソ連と核爆弾を使用する交戦状態に入ったということだ。大佐は遂に来るときが来たかと、指令を再確認する。そして、即座に『指令確認』が表示された。大佐は編隊全機に攻撃命令を指示。
ところが、オマハの司令部では突然の爆撃機編隊の異常な行動に混乱していた。原因はコンピューター・システムの誤作動だったが、しばらくは一体、何が起きたかが解らずに右往左往してしまう。やっとそれに気付き、慌てて呼び戻そうとするが、今度はソ連の妨害電波により回避命令が送信できない状況になってしまう。そんな中、編隊はすでに最終回避地点(フェイル・セイフ)を超え、ソ連領空に差し掛かっていた。
その一報を聞いた大統領(ヘンリー・フォンダ)は、ペンタゴンに軍関係者を招集。親友のブラック将軍(ダン・オハーリー)やソ連への先制攻撃論を持つグレテシーレ(ウォルター・マッソー)らを待機させ、自分は通訳一人だけを伴ってホワイト・ハウス地下の核シェルター内にあるソ連とのホットラインが繋がる小部屋に向かう。
そこで、何とか事態を収拾しようとソ連首相に連絡を取ろうとするが・・・
米ソ全面核戦争の危機を描くポリティカル・フィクションの秀作。
核戦争一歩手間という、一触即発の状況下で回避されたキューバ危機を題材にし、1964年に製作された『核戦争モノ3部作』の一本。他の二本は以前、ここで紹介した「博士の異常な愛情」(1964)と「5月の7日間」(1964)である。
その三本の中で、一番重い作品。最新式のコンピューターの誤作動により、アメリカが核戦争を仕掛けてしまう。内容的にはキューブリック監督の「博士の異常な愛情」に近い設定ではある。
しかし、あちらがブラック・ユーモアな展開を見せたのに対し、本作は正攻法で押して来る。しかも、次から次へと小さなミスや誤解から、のっぴきならない状況へ追い込まれていくというサスペンスフルな展開。見て行くにつれ、胃が締め付けられていく。
合衆国大統領は狭いコンクリートの部屋で同時通訳とふたりだけで、延々とお互いの腹のうちを探り合いながらソ連首相と会話をし続けていく。洩れ聞こえてくるロシア語を通訳しながら、首相の声のトーンの変化や、首相後方での幹部たちの怒鳴り声まで解析していく通訳。互いに責任は重大である。一歩間違えれば全面核戦争なのだ。
やがて、レーダー妨害装置を完備している米軍編隊の位置が解らないソ連は、オマハの空軍司令部と直接回線を繋ぎ、爆撃編隊の正確な位置を知らせろと脅迫してくる。それに対し、もうこうなっては先制攻撃するべしという人間や、敵に味方の情報は教えられないという軍幹部などが、でて来て混乱の極みになっていく。やがて、お互いの軍司令部、在モスクワのアメリカ大使、爆撃編隊隊長の妻までがオンライン回線で繋がっていく。
しかし、そのすべてに嫌な閉塞感が蔓延するのだ。劇中、一番広い部屋である戦略空軍司令部に映しだされるソ連東部とアラスカが描かれている巨大パネルで点滅する敵と味方の航空機群がまるでテレビ・ゲームの態を成してくる。それに一喜一憂する米軍関係者たち。リアル感がない分だけ逆に増幅される恐怖感。
果たして両国首脳は全面核戦争を回避できるのか。ニュー・ヨーク派と呼ばれるシドニー・ルメット監督が、どのようNYを絡めてくるのか。
また、この映画はジョージ・クルーニーによって、テレビ・ドラマ「フェイル・セイフ」(2000)としてリメイクされた。当時の雰囲気をだすために、白黒で生放送という60年代スタイルをわざと再現した。
本作を劇場に見に行ったとき、前回上映が終了し、でてきた観客たちの雰囲気が今でも忘れられない。ゾンビの集団かアウシュビッツかと思った。そして、本作を見終わったとき、自分も同じ雰囲気になって劇場からでてきたことだろう。
これほど胃痛を覚えた映画は数少ない。ある意味、精神的にも体力的にも好調なときに見るべき作品。