十二人の怒れる男 – 12 ANGRY MEN(1956年)

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スタッフ

監督: シドニー・ルメット
製作: ヘンリー・フォンダ、レジナルド・ローズ
脚本: レジナルド・ローズ
撮影: ボリス・カウフマン
音楽: ケニヨン・ホプキンス

キャスト

陪審員8番 / ヘンリー・フォンダ
陪審員3番 / リー・J・コッブ
陪審員4番 / E・G・マーシャル
陪審員7番 / ジャック・ウォーデン
陪審員10番 / エド・ベグリー
陪審員1番 / マーティン・バルサム
陪審員5番 / ジャック・クラグマン
陪審員6番 / エドワード・ビンズ
陪審員12番 / ロバート・ウェバー

日本公開: 1958年
製作国: アメリカ オリオン・ノヴァ・プロ作品
配給: 松竹、ユニオン共同配給


あらすじとコメント

前回の「未知への飛行」の主役ヘンリー・フォンダと監督シドニー・ルメットのコンビ作。特にルメット監督のデヴュー作にして、ニュー・ヨーク派と呼ばれる所以の最高傑作。

アメリカ、ニュー・ヨーク。その年の一番暑い日の裁判所。ある法廷でひとつの事件が結審した。それはスラム街に住む18歳の少年が自分の父親をナイフで刺殺したという案件だった。

閉廷後、ただちに十二人の陪審員が別室に通された。そこで有罪か無罪かを決定するのだ。それには十二人全員一致の評決が絶対条件だった。彼らは無作為に選出された市民で、お互いが誰とも面識がなかった。

そんな中、陪審員長(マーティン・バルサム)が、狭い部屋でバラバラに居心地悪そうにしている陪審員たちに声を掛ける。「そろそろ始めますか」席に着く一 同。どこか頑固で依怙地そうな3番(リー・J・コッブ)、インテリ風で冷静そうな4番(E・G・マーシャル)、今晩の野球のナイターに行くことしか興味がない7番(ジャック・ウォーデン)など、癖のありそうな連中ばかりだった。

陪審員長は、先ず、有罪か無罪かどうかの多数決を取る。11人が有罪に手を挙げた。驚く一同。たったひとりが挙手しなかったからだ。「では、無罪と思う人は」その声に、手を挙げる8番(ヘンリー・フォンダ)。

どうでしょう皆さん。少し話し合いませんか・・・

サスペンスフルな展開にしてヒューマニズム溢れる密室推理劇の最高傑作。

日本でも導入される『裁判員制度』。一般市民が裁判に参加するが、最終的には裁判官を含む多数決によって決定される。

しかし、アメリカではもっと陪審員に権限がある。例えば、本作の案件では彼らが「有罪」と決定すれば、被告の少年は死刑になる。

そして第一回目の投票で十一人が有罪に投ずる。たったひとリ無罪に投じる主人公は、人の生死を何の話し合いもなく決定していいのかという疑問を投げかける。ここにヒューマニズム溢れるヒーローが誕生する。

その後、見ず知らずの人間たちの価値観の相違や差別感、劣等感を浮き彫りにさせて議論が戦わされていくという展開になる。

圧倒的に面白いのは、その過程。先ず、映画は結審シーンから始まるので、一体どういう状況で、どういった殺人が行われ、証人が何を言ったかという事実が観客には一切知らされていない。そこで、陪審員たちが数々の証言や証拠物件について思い起こし、検証し返すことによって、事件の全貌が浮かび上がってくるという展開。

完全なる謎解きとして進行し、そこに十二人各々の個性がぶつかり合う。レジナルド・ローズの完璧な脚本に唸り、見事なる十二人の演技に酔う。

密室劇なので、息苦しさは格別。当初、5分で終わると思っていった男たちが、たったひとり無罪に投じた人間の説得と反証で有罪票が覆っていく。

見ている側としては、一体誰がどの順番で無罪に投じていくかという興味から、次はどの証拠を覆すのかということを推理しながら進行するので、手に汗を握るのだ。

狭い陪審員室のみで進行するが、計算し尽くされたカメラ・ワークにも驚嘆するし、個性がぶつかり合う役柄を見事に演じる役者たちにも脱帽である。

ただ、中には主人公の設定が、いかにもロジカルなアメリカ的善人像の押し付けと忌み嫌う御仁もいるだろう。しかし、それでも映画としては完璧と呼べよう。

ゆえに本作が、以後どれほどの人間たちに影響を与えたか。アメリカではウィリアム・フリードキン演出、ジャック・レモンとジョージ・C・スコットによって「12人の怒れる男/評決の行方」(1997)としてテレビ・リメイクされているし、先立て公開されたロシアのニキータ・ミハルコフによっても作られた。

日本では、筒井康隆が「十二人の浮かれる男」という戯曲を発表し、三谷幸喜は「十二人の優しい日本人」を書き、映画化までされた。

個人的にも本作が大好きで何度も舞台化されたものを見に行った記憶がある。主役を石坂浩二が演じたものから、峰岸徹が演ったものを筆頭に、無名の小劇団の公演まで追いかけ、自分自身も高校の文化祭で上演したほどである。それほど思い入れのある作品。

完全なる会話劇なので、英語に堪能な人以外は、画面外から発せられる台詞が誰の発言か解らない場面もあるので、吹替え版で鑑賞するのも一興かと思う。

現在でいているDVDには吹替え版が収録されている。ただ、残念なのは、テレビ初放映時の吹替え版ではないこと。特に初放映版は、フォンダを小山田宗徳、コッブを富田耕生という完璧フィックス版なので、見ている側の入り込み方が違う。そのうち、この初収録版も収めた特別版でもでてくれないかと心底願っている。

本作は何度見直しても、都度、新しい発見があるアメリカ映画史上に名を残す見事な作品である。

余談雑談 2008年10月18日
自分が住んでいるビルの全面改修工事が始まった。昭和39年建造なので、築44年である。雨漏れや配水管の老朽化など諸問題を解決する大規模なものだ。 10階建てのビルに足場を作り、壁面塗装もする。その組立て過程を9階の自室の窓から身を乗り出して、