スタッフ
監督:リチャード・C・サラフィアン
製作:マーティン・ポール、エレノア・ペリー
脚本:エレノア・ペリー
撮影:ハリー・ストラドリング Jr
音楽:ジョン・ウィリアムス
キャスト
グロバート / バート・レイノルズ
キャサリン / サラ・マイルズ
ラプチャンス / リー・J・コッブ
ドーズ / ジャック・ウォーデン
クロッカー / ジョージ・ハミルトン
ボーエン / ボー・ホプキンス
ダブ / ロバート・ドナー
アイアン・ナイフ / ラリー・リトルバード
ベン / サンディー・マクピーク
日本公開: 1974年
製作国: アメリカ マーティン・ポール・プロ作品
配給: MGM
あらすじとコメント
リチャード・C・サラフィアン監督作で繋げる。前々回に紹介した「ロリ・マドンナ戦争」(1973)と制作年度も同じだが、アメリカ南部の病巣を描くのではなく挽歌的西部劇。
アメリカ、ワイオミング
鉱山技師の夫に愛想を尽かし、単身で東部の生まれ故郷に帰ろうとしていたキャサリン(サラ・マイルズ)。場末の鉄道駅に辿り着いたものの、何やら怪しげな若者が電線を切断し、線路にダイナマイトを仕掛けていた。
一方、その駅に向かう列車では退役大尉のグロバード(バート・レイノルズ)が仲間3人と列車内の金庫を襲い大金を奪っていた。強奪は成功し、彼らは下車し列車での追跡を妨害するために線路を爆破する。しかし、駅から一人でその光景を見ていた彼女が呆然としたまま動けないので、殺したり放置したままにも出来ず、仕方なく連れて行くことにした。
金を奪われた輸送会社の支配人ラプチャンス(リー・J・コッブ)は、犯行が彼らの仕業と特定し追跡隊を編成した。そこにキャサリンを追って来た夫クロッカー(ジョージ・ハミルトン)も、もしかして妻が拉致されたかもしれぬから参加すると言いだして・・・
男女の不思議な関わり合いを描くニューシネマ的ウェスタン。
列車強盗の4人組でリーダーは何やら訳アリ風情。仲間は唯一彼が信用している先住民に、ベテランと若者。特に若者はヒロインにご執心だ。当然、先行きに怪しげな雰囲気が漂う展開となる。
当初はヒロインも抵抗し、脱走を試みたりするが、やがて主人公の真の目的を知るに至り心を開いていく。
それは主人公の先住民の元妻に起因することで、元妻の名前が「キャット・ダンシング」。
何のための現金強奪なのかや、なぜ主人公は仲間内でも先住民だけに心を開くのかといった疑問を紐解いていく進行。
そして途中、様々なアクシデントが起き、仲間割れやら武装派先住民の襲撃など、一応の西部劇的展開を見せる。
しかし、メインのテーマは先住民への贖罪と人生の無常である。
ベトナム戦争の影響で映画界が斜陽化し、アメリカン・ニュー・シネマが確固たる位置を確立していた時期。
当然、単純な勧善懲悪という白人優位の西部劇ではなく、先住民に敬意を払う作品。
つまりは同じ人間であり、個人各々の価値観によって棲み分けが出来上がるという設定。
当初こそ強制連行されるヒロインがやがて主人公とだけの道行きになって来ると突如、心を開き、まるで先住民女性かのような風体に変貌していく。そういう点では、本作が製作された年に起きたテロリストと被害者による「ストックホルム症候群」的な心理的同調が起きる状況に似ている。
それが本作では、先ずは心の交わり合いの発生から、やがて肉体関係へと変化していく。となると本人同志は良いだろうが、追跡隊にいる夫の存在が問題を面倒にするだろうと想像が付く。
追手側の支配人はどこか温厚さを醸し、金さえ戻ればと思っている。つまり、強盗団と追跡隊双方に仲間内ながら微妙な温度差がある。
それらが、どのような化学反応を示してくるのか。ニュー・シネマの自分探しではなく、先住民への反省が前面にでた贖罪を描いた点では異色と言えるか。
しかし、いかにものロード・ムーヴィー的進行と、ラストでの妙な予定調和が興を削ぐのが残念。言いたいことは理解できるが、監督らしくないとも感じた、