しばらく振りに演劇を観てきた。
知り合いの俳優が出演するというので付き合いも兼ねてだ。
場所は自室から徒歩圏内でもあり、通常は「カフェ&ギャラリー」として営業している場所。その手の小屋も初めて。
固定型のイスでなく、様々な種類の寄集め。観客は坐れて30名が限度で、ノンアルコール飲料が一杯無料で付く。舞台として高くなっている訳でもなく、観客も演者も同じ目線。まるで高校の教室内上演の近さがある。
芝居が始まる前には演者もスタッフも受付で飲料を配ったり、親しく挨拶している。この距離感も懐かしかった。映画館や試写室では絶対に味わえないから。
だが、個人的に一番心配だったのは上演時間。長いとトイレに行きたくなるから。これも加齢の所為で、映画でも然りだが、事前に上映時間は調べられるが、芝居は尋かないと分らない。もし長いと嫌だなと思っていて演者に聞いたら1時間半ちょっと。しかも、カフェ・スペースの一部での上演で、トイレ近辺も芝居で使用するので、恐らく劇中に行くのは難しいですよと笑って言ってきた。
内容は三人の元同級生が偶然全然違う立場で再会し、どのように現在に至ったかを描くドラマでチョイチョイ昔の演劇なりのタイトルが挿入され、その劇作家名なりスタイルを知らぬと、くすぐりに対応できないだろうとも感じた。
やはり、映画とは完全に違う表現だと感じたし、都度観客により演者たちのテンションも左右される。そもそもたった三人で一時間半以上の台詞量を覚えて淀みなく進行させるのだ。映画は台本を全部覚えなくてもその日の撮影分だけ覚えていれば何とかなるし、失敗しても監督にヘタクソと罵声を浴びれば撮り直し可。なので演技のアプローチ法も違うし、自分が監督だったら違う表現を要求したろうなとか思いながら観劇した。
結果、興味深い経験であり、映画製作をしていた大学時代に少しだけ戻れた気もした。成程、ある意味アドレナリンが出て、止められなくなるのも頷ける。しかし副業か、もしくは演劇が副業かもしれぬが喰っていくのは大変だろうし、どこかで区切りをつけないといけないとも思う。
夢を追い、たまの興奮を覚え、やがて麻痺していく。ギャンブルや『推し活』にも通じる心理か。自分は違う部類で、のめり込むタイプかもしれない。それは大前提が「飲酒」という行為。これだって誰からも強制はされぬが、程が過ぎると矯正が必要にはなる。
アル中と呼ばれる生態。尤も、酒など飲まずとも酔える人生は羨ましい。「陶酔」とか「心酔」とか。だが、自分の場合は「酔狂」が似合いそうだ。どの道、加齢でも『単なる』とか『テキトーに』の積み重ねなら「酸いも甘いも」とはいかずなんですがね。
まあ、間近で熱量を感じて、少しだけ芸術の秋を堪能できたのは得した気分でもある。