ナポリのそよ風 – IL SIGNOR MAX(1937年)

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スタッフ
監督:マリオ・カメリーニ
製作:C・O・バルビエーリ
脚本:マリオ・ソルダーティ、マリオ・カメリーニ
撮影:アンキーゼ・プリイッツィ
音楽:レンツォ・ロッセリーニ

キャスト
ジャンニ / ヴィットリオ・デ・シーカ
ラウレッタ / アッシア・ノリス
パオラ / ルービ・ダルマ
リッカルド / ウンベルト・メルナルディ
叔母ルチア / カテリーナ・コーロ
叔父ピエトロ / マリオ・カサレッジオ
プッチ / リリア・ダーレ
ペペ / ヴィルジリオ・リエント
バルディ大佐 / ロモロ・コスタ

日本公開: 1939年
製作国: イタリア アストラ・フィルム作品
配給: 三映社


あらすじとコメント

「靴みがき」(1946)の監督ヴィットリオ・デ・シーカ。『ネオリアリズモの巨匠』と呼ばれ数々の名作を輩出してきたが、初期は俳優であった。そんな彼が主演したイタリアらしいロマンティック・コメディを紹介する。

イタリア、ナポリ

父の遺した街なかの電話ボックス大の小さな新聞スタンドを営むジャンニ(ヴィットリオ・デ・シーカ)。彼は車掌の叔父宅に居候中であるが、夏は貯めた金で一ヶ月程度旅行に行くのが楽しみの青年である。

今年は金持ちの友人から、ナポリ発で北部のジェノヴァへの汽船の一等乗船券を貰って意気揚々だ。そんなジャンニに叔父は身の丈に合った訪問地に行き見聞を拡げろとアドバイスをしてくれる。しかし、彼は折角の一等券であり、自分も上流階級の人間を演じてみたくなった。港に着くといかにも金持ち風情のパオラ(ルービ・ダルマ)がメイドのラウレッタ(アッシア・ノリス)を連れて颯爽と歩いていた。

すぐに血が騒ぎだしたジャンニは、マックスと偽名を使い・・・

下町の青年が見栄を張ったことから見えてくる真実を描くロマンティック・コメディ。

中々の二枚目で燕尾服やタキシードまで持って乗船する下町の青年。ところが上流の美女からすると、自分らとは違う立振る舞いや発想に「謎めいた男」と誤認され、ボロが出ないようにテキトーに対応すると美人に気に入られてしまう。

調子に乗って見栄を張り贅沢旅行に付き合うが、結局、下流人間の浅はかさというか弱さが出て金銭やら価値観を含めて追いつけなくなり途中で逃げ帰ることになる。

そこまでは普通にコメディであり、もしかして逆転ホームラン的に上流の美人が感化されるのかと思いきや、今度は新聞スタンドにメイドの方がやって来てしまい咄嗟に『そっくりさん』として嘘をついたことから、別な方向に転がっていく。

内容は軽妙とは言い難いが、飄々とした色男に見えるデ・シーカが無理して上昇志向に溺れて行くのは、いつの時代にも頷ける人間は多いだろう。

上流階級の狭い世界のみでの優越感とマウントの取り合いという下町の人間からすると信じ難い価値観のイヤミなぶつけ合いに息切れという感じで舞い戻り、今度は地元で再会するメイドは実は主人公と同じ境遇だったりするからややこしくなるのだが。

結局誰にでも好かれたいというラテン男ゆえメイドにも良いことを言いだす。当然、金持ち美人も再登場してくるので忙しく二役を演じる羽目になる。

所詮、自分で蒔いた種だし遊び人の浮気男なのかと思うと、それも若干外してくる。時代性を感じさせるものの「交わるもの」と「交わざるもの」の対比は理解できるし、時代が流れようとも何とか這い上がりたいと願い自分の身の丈を変えて、嘘や誤魔化しで何とかして高く見せようとする努力は痛々しさだけを強調してくる。

でも、この程度の見栄は張りたいよなと同意する男性は当時は多くいただろうなと推察できる。結局、映画の落しどころに人間本来の優しさを提示してくるのも、いかにもイタリアの下町人情喜劇っぽくて嫌いではない。

余談雑談 2023年12月30日
今日が「晦日」で、明日が「大晦日」。 ということは明後日は新年である。暖冬傾向で確かに東京は例年よりも暖かい。人の心も多少でも温まると良いのだが。 とはいっても、暖冬はそれこそ来年も春過ぎから灼熱地獄だぞとの教示ではないか。だとしたら嫌だな