紳士泥棒/大ゴールデン作戦 – AFTER THE FOX(1966年)

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スタッフ
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
製作:ジョン・ブライアン
脚本:ニール・サイモン、チェザーレ・ザヴァッティーニ
撮影:レオニーダ・バルボーニ
音楽:バート・バカラック

キャスト
ヴァヌッチ / ピーター・セラーズ
パウエル / ヴィクター・マチュア
ジーナ / ブリット・エクランド
グラノフ / マーティン・バルサム
オークラ / エイキム・タミロフ
ポリオ / パオロ・ストッパ
シエーピ / ティーノ・ブアゼッリ
カルロ / マック・ローネイ
リズート署長 / ランド・ブッザンカ

日本公開: 1679年
製作国: イギリス、イタリア モントロ・フィルム作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

イタリアのヴィットリオ・デ・シーカ。若い頃は俳優であり、後に「ネオ・リアリズモ」と呼ばれるジャンルの巨匠として世界的名声を得ていく。その監督が自身の役で出演もした微妙に面白いコメディ。

イタリア、ローマ

『キツネ』と呼ばれる悪党のヴァヌッチ(ピーター・セラーズ)。何度も入脱獄を繰り返してきたが現在は刑務所内でそれなりの生活が送れるので、半ば引退状態。それでは困る三人の子分が面会に来て、以前の儲けが底をつき母親は貧乏を嘆き、妹ジーナ(ブリット・エクランド)は街角に立つようになったと言われる。

そうなれば話は別でまんまと脱獄。すぐさま母と妹の住むローマの実家へ戻った。ところが妹は『夜の女』ではなく、映画撮影のエキストラとして連日街に立ち女優を夢見ているだけだった。何だと思う彼に早速仕事の誘いが来る。少し前にエジプトのカイロで起きた金塊強奪泥棒の主犯オークラ(エイキム・タミロフ)から警察を目を誤魔化してイタリアに運び入れたいと。

成功報酬は折半でと決め、策を考えるが・・・

金塊を密輸する小悪党たちを描くドタバタコメディ。

母と妹思いの小悪党。見栄を張って依頼を受けたは良いがさてどう実行するかというスタート。

思いついたのが映画女優を夢見る妹と『往年の』大スターだが当然常識的な思考はない上に、寄る年波を誤魔化し続けるハリウッド俳優を丸め込んでの映画製作。

先ず、イタリア映画界の隠れたるネオ・リアリズモ系大巨匠に扮し、イタさを感じさせる大スターとマネージャーをだまし、田舎の港町の住人全員をも巻き込んでロケのみで映画撮影をするというもの。何といっても、素人大挙出演でセットでなくホンモノの雰囲気が漂うリアルなロケこそ「リアリズム映画」だと。なのに内容は、ホンモノ「そっくりな」金塊を陸揚げする犯罪劇。でもって演出法は即興的で、やがて内容が恋愛劇へシフトしていくという信じ難いシロモノ。

七変化で様々な役を演じ分けるピーター・セラーズだからこその大袈裟な迷演が登場する。確かにセラーズはカメレオン俳優であるので、多彩な役柄を演じるコメディ作品は数多い。

ただし、やり過ぎのオーヴァーアクトも多い。本作も然りなのだが、興味深いのは脚本がブロードウェイ出身で「おかしな二人」(1968)など大ヒットコメディを輩出するニール・サイモンが関わっていること。ゆえにやり過ぎ主演者と泥臭いイタリア系ドタバタ劇でもなく、少しスマートさが滲む。しかもアメリカ人のヨーロッパ・コンプレックスが前提に横たわる。

その上音楽はヒットメーカーで「明日に向って撃て」(1969)を手掛けるバート・バカラック。そして監督がネオ・リアリズモの巨匠として確固たる地位を確立していたヴィットリオ・デ・シーカ。

往年のハリウッド・スター役には肉体派俳優の先駆けであるヴィクター・マチュアという中々魅力的な布陣。そしていかにものステレオ・タイプではあるが陽気で呑気で目立ちたがり屋のイタリア人。そしてデ・シーカ監督も本人役で監督として出演し笑いを取る。

ただコメディなり笑いのツボは欧米と日本人はかなり違うので大爆笑とはいかない。それでも、風光明媚なイタリア、大雑把ながら良い意味での大らかさに、どことなくいつもやり過ぎなセラーズの暴走を若干止めているのはデ・シーカの存在だろうし、いかにもアメリカのニール・サイモンとバート・バカラックの混在さ加減も思いの他、上手く作用しているので一応、面白可笑しく観ていけるコメディに仕上がっている。

余談雑談 2024年1月6日
年が明けた。 東京は晴天の夜明けを迎え、さて今年はどうなるかと思いつつ、混雑する前の地元の氏神様へ初詣。何せ毎年参拝者数で全国ベストテンに入る寺。それが氏神様とは有り難い限りである。 帰宅後は毎年変わり映えしないバラエティを見るが、年々芸人