才能は遺伝しないが、血は争えない。
名匠やスポーツ系などで歴史に名を残す人物たち。その御子息たちは親ほど大成出来ないとも聞く。凄いプレッシャーなり名人イコール良い親とは限らないからか。
中には全く違う道を選んだり、ストレスから犯罪に手を染める輩もいた。何かにつけ偉大なる親と比較され、親の七光りとバッシングされるだろうし。これらは才能は遺伝しないという類だろう。
とはいいつつ『世襲制』を踏襲するところもある。何十代にも渡って生き残っている名家、小さいながらも頑なに昔の製法で逸品を守るものとか。何とも歴史を感じる次第。
他にも企業や政治家だって世襲をするのがある。立派に親超えを目指し発展させようとするのもいれば、自分のように『三代目は身上を潰す』を実践するのもいる。自分なんぞは「バカ息子」と蔑まれた。今となっては当然だとも思う。だから今や好き勝手を評論的に上から目線で書き散らかす。
「ウザイ」とか「モラハラ」やらの類で敬遠の対象にもなる。昔はとか俺が若かったころはとか、大した経験値でもないのに話したがるのは己の人生に対する自信のなさの表れだろと思うのが自分。マウントの取り合いで、猿と何とかは高いところが好き的な揶揄ですがね。
まあ昔のことはさて置いて、と平気で言うから本当に嫌な奴なやっぱり自分もですな。人生の経験値と言うのであれば「稲穂は実るほど頭を垂れる」の方が好きだが、それも虫などに対して上から目線だろと非難されるのが今の時代か。
尤も、これらはネットやSNSでは普通に増殖中だし、若者とかZ世代だってやがて中には平気で踏襲するのもそれなりの数がいるに違いない。ただ、これまた自分都合で言い訳すれば年長者は唾棄すべき対象ではなく憧れの対象として、未熟な自分がいち早く大人びたかった対象を指した。嫌な奴を探すのではなく、憧れとか目指したい大人を探す。
そのためには潰したガソリン・スタンドは様々な客が出入りするので好都合でもあった。でもさ、やっと高級車に乗れたから必死にサービスでピカピカにしろと日に三度も来た客とか、安いオイルを持参して自分でするから無料で交換用器具と場所だけ提供してと当たり前に言った人もいて、どう他人に見られるかを考えない人ばかりが印象に残るのは何故だろう。
それでも立振る舞いや支払いが実にスマートな人もいたので、何だか埋もれたB級映画を発掘するのに似てる気もする。当然、あくまで自分の価値観なりの視点だが。
となるとやはり経験値が必要だろうが、どの視点で探すかは教えてもらって身につく人が全員とは限るまい。じゃ、やっぱり天賦の才能を持ってなきゃいけないのが前提で、つまり遺伝ではないよなと相成る。それに気付けるか否やか。
言葉足らずや切り取り記事、映画なら予告編やポスター情報だけで左右されないのが一番かとも思うが、結局、人間は弱い生き物。自分は別と思いつつ、まんまと誰かの掌中。
それを知って心地良いと思うのが昔に言われた「ぬるま湯体質」だろうか。生きるのに必死なら好き嫌いや余裕なんぞと言ってられないが、死なないのが前提。
で、生きる死ぬなら本能が重要だろう。生きるために体が勝手に動くとか、恐怖で微動だに出来ないかで生死が分かれる。戦争を体験した祖父や父は戦場にこそ直接行かなかったが空襲などは何度も受けた。あまり語らなかったが、嫌な思い出が滲んでいたのを子供心に覚えている。
明治生まれの祖父と昭和ひと桁生まれの父。下町のボンボンとして甘やかされたが、逆に『衣食足りて礼節を知る』を叩き込まれた。まあ、叩き込むだけあって口よりも先に手が出たのは時代だろうが。
で、今思うと子供時代ほど裕福ではなくなったが、どこかで踏襲している気もする。これは血は争えないの類か。
結局、どこかで親に似てくるとも聞く。バカ息子、三代目にして身上潰すを実践。ならばコツコツと必死に頑張った祖父や父と違い、今や上から目線のイヤなジジイになったのは遺伝ではなく才能、てなことにはならないよな。