私は殺される – SORRY, WRONG NUMBER(1948年)

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スタッフ
監督:アナトール・リトヴァク
製作:ハル・B・ウォリス
脚本:ルシール・フレッチャー
撮影:ソル・ポリト
音楽:フランツ・ワックスマン

キャスト
レオナ / バーバラ・スタンウィック
スティーヴンス / バート・ランカスター
サリー / アン・リチャーズ
コターレル / エド・ベグリー
エヴァンス / ハロルド・ヴェルミリエア
ロード / リーフ・エリクソン
アレクサンダー医師 / ウェンデル・コーリー
モラノ / ウィリアム・コンラッド
ジョー / ジョン・ブロムフィールド

日本公開: 1950年
製作国: アメリカ ハル・ウォリス作品
配給: セントラル


あらすじとコメント

前回の「暁前の決断」(1951)の監督アナトール・リトヴァク。手堅く鑑賞に堪えうる作品を多く輩出してきた監督という認識である。今回はサスペンス・スリラーとしてシャープな演出が光る力作。

アメリカ、ニューヨーク

シカゴに本社を持つ大製薬会社の社長令嬢レオナ(バーバラ・スタンウィック)は、大学の同級生の恋人だったスティーヴンス(バート・ランカスター)を略奪し結婚。

結婚に反対だった一代で財を成した父親は渋々での許諾であり、どこの馬の骨とも知れぬ娘婿なので、お飾り人形的なニューヨーク支店長という肩書で娘の言いなりになれと厳命していた。当然、鬱憤は溜まる一方のスティーヴンス。

わがまま娘のレオナは心臓が悪く掴まり立ちでしか歩けないほど病弱でもある。ある晩、旦那が帰宅せずメイドたちも帰していたので大邸宅にたった一人で居た。不安に駆られる彼女は電話交換手を通して夫の会社に電話を入れるが混線し、今夜どこかで強盗に見せかけて女性を殺すという会話を聞いてしまう。

これは一大事だと交換手や警察に電話をするが・・・

電話の混線から自分の立場を痛感させられていく人妻を描くスリラー佳作。

常にヒステリックで精神すら病んでいると感じさせる人妻。しかも普通に歩行も出来ないほど病弱。

殺人計画を聞いてしまい、あちらこちらに連絡をするが、当然、理路整然と説明できないから誰も本気になってくれない。

それはパーティー開催中の父親も然り。頼みの綱の亭主は行方不明で何とか秘書に電話をするが昔の恋人が訪ねてきて昼食に行ったきり戻らなかったと告げられる。

どうにも謎めいてヒロインを混乱させることばかりが起きてくる展開。しかも、それらはすべてが電話による情報であり、たったひとりで大邸宅にいるので益々、困惑と不安に苛まれていく。、

そこで数年前のヒロインと婿との出会いと掠奪愛の顛末だったり、父親との結婚許諾騒動などが回想形式で描かれていく。

どのシークエンスも説明っぽいのだが、それは時代性もあろう。そもそも直通電話がなくオペレーター経由。「電話機」が、壁掛式公衆電話や高級でオシャレとか、デザインや受話器の外れ方で状況の個性をだしていたりしてヒッチコックを連想させる。

思わせ振りとか、影の陰影、不安定な移動撮影、風に揺れるカーテンといった縦横無尽なカメラ・ワークでサスペンスを盛り上げて行くのは流石と感じた。

白黒スタンダード画面で描かれる当時としては『最先端の文明の利器』である電話。しかし、交換手経由や通話状況の突然の変調など完全性が確保されていない。それがサスペンスを生んでいくのも興味深い。常に人間が絡まないといけないのも、逆にスリラー性を加速させる。

ただし、主人公役のバーバラ・スタンウィックの大袈裟すぎる悲劇のヒロイン的演技が興を削ぐが、中盤以降に分かってくる彼女の真の精神状態を知れば納得も出来ようか。

回想形式で全体の背景を浮かび上がらせ、それを提示した先に更なるサスペンスを重ねさせていく手法は興味深いし、落しどころにも制作時を考えれば妙味がある。

総じてバランスの取れたスリラー映画と評価できよう。

余談雑談 2024年4月13日
桜も盛りを過ぎて。 眼下は有名な花見スポットで通常以上に人の流れが変化する。今年はかなり天候に左右された印象だが、そろそろ終わりである。 寒かったり、雨が降ったりしても僅かの隙を見て坐って宴会を楽しむグループも多く、早朝などは完全にインバウ