案の定、記録更新確定の今夏。
となれば引き籠り前提で、同系列で攻めるか飽きないようにジャンル変更か、とDVD鑑賞の順番を熟考したり、TVでの流し見的時間潰しが常態化。
ところが今の時期、テレビはパリ一色。とてもヘソ曲がりな自分は絶対に観ないと決めているのだが、それにより放映時間が決まっている天気予報なり定番の流し見用早朝番組が飛ばされている。
仕方なく別チャンネルへとザッピングすると時差の関係で夜明け前の絶妙な時間帯は多くの局も別競技を生中継。しかも不意に絶叫系アナウンサーが怒鳴ったりしてると、明けきらぬ朝から変化が嫌いな自分を一挙に不機嫌にさせてくる。
誰が勝とうが、どの国が負けようが関係ない。博奕と同じで生のハラハラドキドキ感が苦手。スポーツは「筋書きのないドラマ」と言われもするが、こちとらはドラマや映画は好きだが、それは筋書きありきで何度観てもラストは同じ、だから好きなのだ。
変わって良いのは人生の経験値。それで昔観た映画を久方振りに再見すると印象が変わることはあるが、映画自体は変わっていない。たまにディレクターズ・カット版とか、別エンディングとかあるが、あくまでオリジナルが本筋と考える。
ほら、やっぱり変化が嫌いな性分。そもそも昔から部活で運動もしてこないし、独りで映画館の暗闇に身を潜めるのが大好きだった。何とも偏屈で没コミュニケーションだ。だからパブリック・ビューイングとかいう、見ず知らずの連中と一緒に騒ぐなんてのは言語道断。
ということで暑さに関係なく部屋に籠るのは苦手なわけがないか。それに性格も災いしてネット・オークションの映画ポスターやパンフを流して見ていると、これまた困ったことに陥るのである。
パンフレットは持っているがデザインがポスターの方が派手だったりすると心が動き、一気に子供時代に飛び帰ってしまう。つまり、街なかの壁や映画館用掲示板、銭湯で地元名画座の上映案内のポスターに眼を奪われ、心躍っていたあの頃にタイム・スリップしてしまうのである。
ビジュアルとして心を持っていかれ、更に惹句や登場もしない戦車や機関銃の合成写真で騙されたよなという経験が多い癖に、ついつい『怖いもの観たさ』で映画館へ行ったっけ。
そんな当時ポスターだけは見たが本編未見の映画など、安価出展なら妙に落札したくなる。きっとハズレだよなと想定できても未見だし、もしかするかもという気持ちが湧くから始末に悪い。こういうところはギャンブル的志向に陥る。とはいえ、当時と違い経験値から駄作かどうかの勘は外れないのだが。それでも、一応チェックリストに登録だ。
続いては本編検索に移行。国内DVDは出ていたかに始まり、郵送システムのみでの一本あたりが安くない旧作ビデオレンタル屋、続いて恐らくマズいよね的違法の匂いが漂う海外のDVD販売のショップを探し、どこかでヒットすると今度はこのメルマガのどこに差し込むかと悩む。
結果、ポスターは競う人間が出て来なければ開始価格で落札し、それから本編DVDやビデオの料金を合算し、双方をクリック。きっと駄作だろうと、せめてポスターのビジュアルだけでも紹介したいからと言い訳。まあ、配給会社の宣伝部員じゃないから紹介するにしても『史上空前のスケール』、『今世紀最大最高』と嘘を付く気はないが、と更に弁解。
そもそも映画ファンってものは読書好きとは若干違い、動くものやヴィジュアルが好きなタイプだろう。だからポスターや予告編から本編自体を見抜く眼力というか、行間を読む能力に長けてくる。ただ、そこに個人差がでるのだが。
中には、娯楽が少ない時代の時間潰し、しかも単純明快な勧善懲悪じゃないと分からない映画好きの人も大勢いた。だからか、中にはジョン・ウェインや片岡千恵蔵作品だけには妙に詳しい人もいたっけな。
そのための粗製乱造だったのだろう。となると「当たるも八卦、当たらぬも八卦」とギャンブル的な嗅覚でのチョイスだった。まあ、結果の勝率が低かったからの現在に至るのかもしれぬが。それもあっての賭け事禁忌なのかも。
それでも時代性を感じさせるポスターが、不意にPC画面越しに目に飛び込んでくると、瞬時に子供時代のドキドキ感が甦り、心が躍ってしまう。で、逡巡が始まり観たくもなるし紹介もしたくなる。
既にいくつかそういう映画が増え、組み替えながら別な疑問が発生してくる。おいおい自分は幾つまで生きるんだと。そんな後方に差し込むと、現行サイクルだと紹介は二十年近くも後だぜ。
そこまで元気で生きていられると思うのかと自問自答。そんなことが頭をよぎり、その上、暑さに室内でも夏バテ加速。心身ともに宜しくないが、これは誰もが同じ。
ハイハイ、そうでしたね。『ケ・セラ・セラ』。