5時から7時までのクレオ – CLEO DE 5 A 7(1961年)

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スタッフ
監督:アニエス・ヴァルダ
製作:ジョルジュ・デュ・ボウレガール、C・ポンティ
脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:ジャン・ラピエ
音楽:ミシェル・ルグラン

キャスト
クレオ / コリンヌ・マルシャン
アンナ / アンナ・カリ−ナ
アントワーヌ / アントワーヌ・プルセイエ
看護師 / ジャン・クロード・ブリアリ
ボブ / ミシェル・ルグラン
無声映画内の散水屋 / エディ・コンスタンティーヌ
無声映画内の葬儀屋 / サミー・フレイ
無声映画内の花売り娘 / ダニエル・ドロルム
モーリス / セルジュ・コルベール

日本公開: 1963年
製作国: フランス パリ・ローマ・フィルム作品
配給: 東和


あらすじとコメント

前回の「落穂拾い」(2000)の女流監督アニエス・ヴァルダ。彼女が作ったいかにもフランス風な少し風変わりなドラマ。

フランス、パリ

夏至の17時。歌手のクレオ(コリンヌ・マルシャン)は2日前体調の変化を感じ検査を受けた。本人は間違いなく「ガン」であり、余命幾ばくもないと診断されると恐怖と不安に苛まれていた。そのことを聞くのは怖いが18時半に医師に電話を入れ診断結果を聞くことになっていた。

それまでの時間は何とも不安定な状態で過ごすことになる。突如占い師の元を訪れてみると、案の定、不吉なことを言われる始末。マメージャーとカフェに行っても、何もかもが上の空だ。もうすぐ自分の人生が終わってしまう。症状的には痛いのか、長引くのか。

部屋に戻るといつも忙しがっている恋人が何食わぬ顔でやってきて愛していると言ってくれるが、それすらガンを気遣ってのことはないかと感じてしまい・・・

診断結果に不安を抱く歌手の2時間を追うドラマ。

3枚ほどレコードを出したそこそこ売れた美人歌手。クレオという芸名は「クレオパトラ」から取った美人でグラマー。

マネージャー、恋人、新曲用に部屋にやってくる作詞作曲家コンビ。再外出して会いに行くヌードモデルをする友人、その彼女の恋人の映画館の映写技師などが登場してきてヒロインの日常をいかに彩って来たかをうかがい知らせる。

しかしそれらすべてが彼女の情緒不安定に貢献してしまう。誰も他人の心など窺い知れないし、それでもそれぞれなりに気を配ったり逆説的に励まして行ったりする。

だが、彼女の心は常に不安定であり、かといって逃げるわけにも行かず、逆に対峙する余裕もない。

そんな彼女の2時間を描くのだが、手法としてそれぞれの登場人物を何時何分から何分までと表示させ、実際5分単位で各々のスタンスを入れ替わり描いていく。

ヒロインの不安定な2時間の人生内で、5分程度ながらどのような影響を与えていくのか。誰が好きで誰が苦手かと思わせるよりも、流石大人のパリジャンは違うだろと勝手なる自己主張ばかりなのが苦笑を浮かべさせる。

付かず離れずのカメラワークで実際に街中をゲリラ撮影的に追っていく。本来、他人などに興味のないパリジャンたちが、事あるごとに振り返りヒロインを目で追ったり、カメラを意識して見てくるという違和感を敢えて映している。

それらは他人など興味ないと素知らぬ振りを見せる大人ぶった人間の若干の闇をあぶり出しているとも感じた。劇映画ながら、一瞬の視線に妙に市井の人間の本性を垣間見させるドキュメンタリー風でもあるから。

しかし反対に美人で目立つ女性ゆえに目が動くのであって、それはヒロインが抱える不安や恐怖など一切、興味がないという排他性をも想起させている。

場所を特定させる観光紹介景観を排除し、等身大の街並みと蠢く多くの人間たちの息吹きさえも感じさせ、微妙な距離感を保ちつつ人間の脆弱さと虚栄心を街角に流しながらラストに向っていく。

どこか他人事としてのリアリティに対して妙な残虐性を伴うファンタジー性へと変調していく独特な風情が立ち上る捨て難いドラマ。

こういった作風は彼女特有のものだと感じるし、どこか独自性と排他性を両立させるフランス人気質を想起させても来る。つまり、万人受けする作品ではないということ。

余談雑談 2024年10月19日
どうでもいいことだが、調整。 2005年6月からここを続けている。現在の発行日決定まで曜日や時間を逡巡したり、番外編を考えたりと楽しみながら発行してきた。 結果、日本時間の土曜日朝の発行に決めたのは、当時洋邦問わず封切館の公開が土曜日だった