スタッフ
監督:ジョゼ・ジョヴァンニ
製作:アラン・サルド
脚本:ジョゼ・ジョヴァンニ
撮影:アラン・ショカール
音楽:ジュルジェンティ
キャスト
ジョー / ブリュノ・クレメール
マニュ / ヴァンサン・ルクール
エミリー / ミシェル・コデ
看守 / リュファス
エケ弁護士 / ニコラ・アブラハム
ジプシー / エリック・ディフォス
ドリーヌ / マリア・ビタレジ
バルシー / セドリック・シュヴァルム
娼婦 / シャルロット・ケィディ
日本公開: 2002年
製作国: フランス スタジオ・カナル作品
配給: セテラ・インターナショナル
あらすじとコメント
前回の「掘った奪った逃げた」(1979)の監督ジョゼ・ジョヴァンニ。実際に収監された経験があり、それを元に様々な犯罪ノワールを世に送り出した。そんな彼の自伝を映画化した静かなる親子関係を描く、実に渋い秀作。
フランス、パリ
マニュ(ヴァンサン・ルクール)は、兄や叔父と組んでヤクザ稼業に手を染めていた。そして3度目の恐喝事件で失敗し、刑務所に送られてしまう。
だが叔父が裏切り、兄は脱獄後射殺され、結果、マニュは直接殺人を犯していないが、見せしめのために22歳にして死刑宣告を受けてしまう。
そんな彼を何とか救ってやりたいと思う父親ジョー(ブリュノ・クレメール)は、毎日刑務所の眼前にある「前の所よりは、ましな店」というキャフェに出入りしていた。看守や出所した男たちから情報を得るためだ。
だが、弁護士エケ(ニコラ・アブラハム)の尽力にも係わらず、上告は却下された。妻エミリー(ミッシェル・ゴデ)もルーレットで資金を稼ごうとするが失敗。ギャンブラーのジョーも隠れて儲けた金を母からだと偽り、手を回すが失敗する。
ジョーは息子に嫌われていると思っているので、表立って励ませないのだ。更に誰にも内緒で遺族の家へ行き「減刑嘆願同意書」を貰ってくる。それすらも母親の手柄にする男だ。
しかし、それが効を奏して大統領が死刑停止に同意。実に11年の投獄後、マニュは釈放され・・・
死刑宣告された息子を救うべく尽力する父親らを描く秀作。
「フィルム・ノワール(暗黒映画)」と呼ばれるジャンルがある。特にフランス映画に於いていわれるが、その中でもジョゼ。ジョヴァンニが関わる作品は渋く惹きつけられるものも多い。
リノ・ヴァンチュラの渋さが際立つ「ギャング」(1966)、「冒険者たち」(1967)、ジャン・ギャバンとアラン・ドロン共演「シシリアン」(1969)では脚本、「暗黒街のふたり」(1973)では監督と脚本。枚挙にいとまがないほど。
しかも本作はジョヴァンニの自伝的要素が強く、特に彼は脚本参加だけだがロベール・ブレッソン監督の秀作{穴}(1960)に通じる作風。
アメリカ製の派手な撃ち合いやアクション・シーンが全く無いのだが、間違いなく「フィルム・ノワール」の傑作だと感じる。
日本人にはお馴染みの東映「着流し系」仁侠映画の美学に通じるものもあろう。
何よりもジャン・ギャバンを彷彿とさせる父親役のブリュノ・クレメールが素晴らしい。決して目立とうとせず、一歩下がって人に接する態度が逆に表立たずとも実に力強い父親像。
家族や息子に対しても同様である。この昔気質の親父像が涙腺を緩ます。職業はギャンブラーと自負しているので、その潔さには唸ってしまった。
他の登場人物でも娼婦、キャフェの親父や看守らとの絡みも素晴らしく、登場してくるどのキャラクターも他のジョヴァンニ作品の人物に重なる。
まさに真の男とはこれ。何気ない友情や娼婦との交流の素晴らしさに絶句する。
台詞も「俺は毎朝死ぬ」とか、遺族との「人を殺しておいて、今更何をしてくれると言うの」と言われると静かに「恥を晒す」といった会話に散りばめられた心地良いキザさ加減。
これぞフランス映画の真骨頂である。カメラも素晴らしく、現実と過去のシーンでは色調を変え全く違和感なく、その上、心が凍っている感じが全編を通して伝わってくる。
死刑停止後も何かと刑務所の周りに出没してギャンブルを重ねる父親だったが、面会の時はお互い何も言えないとか、釈放後礼を言いたかったが「父さん」「息子よ」としかお互いに発せられないという親子のジレンマ。
その時の心情を語るジョヴァンニ自身によるナレーションも素晴らしく男心に突き刺さる。
本当に強い男、今では絶滅した感があるが、を遺憾なく教えてくれる映画。個人的には本作で泣けない男は信用できないと感じる秀作。
