スタッフ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
製作:ゴッドフリー・ロンバルド
脚本:L・ヴィスコンティ、S・チェッキ・ダミーコ 他
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:ニーノ・ロータ
キャスト
ロッコ / アラン・ドロン
シモーネ / レナート・サルヴァトーリ
ナディア / アニー・ジラルド
ジネッタ / クラウディア・カルディナーレ
ロザリア / カティーナ・パクシヌー
チェッリ / パオロ・ストッパ
モリーニ / ロジェ・アナン
チーロ / マックス・カルティエ
ルーカ / ロッコ・ヴィドラッツィ
日本公開: 1960年
製作国: イタリア、フランス チタヌス作品
配給: イタリフィルム
あらすじとコメント
イタリア映画界の巨匠の一人ルキノ・ヴィスコンティ監督。その彼の中期の力作を扱う。イタリア国内の地域格差から派生する、とある家族の行方を追う問題作。
イタリア、ミラノ
家長である夫が死に、残された母親と四人の息子たちが南部の貧村を離れ、遠路はるばる大都会へやってきた。
先に上京している長男を頼ってのことだ。次男シモーネ(レナート・サルヴァトーリ)や三男のロッコ(アラン・ドロン)らも、初めて見る都会に興味と恐怖を感じていた。
夜になり、やっと長男の部屋に辿り着くとジネット(クラウディア・カルディナーレ)らの家族と婚約パーティーの真っ最中。ところがその事実を知らされてなかった母親は、父親の喪中なのに何がお祝いだと怒り心頭。すると相手の家族も参戦してきて大喧嘩となり泊まれなくなってしまう。
何とも幸先の悪い展開になり、長男の知り合いの伝手で安アパートを紹介され、深夜になってやっと一行が部屋に入れた。
そこに、いわくあり気なナディア(アニー・ジラルド)が飛び込んできて・・・
大都会で翻弄される田舎の家族の悲劇を扱う骨太の秀作。
長男を頼り田舎を捨てて移住目的で来た家族。元々は搾取されるだけで生きていくのがやっとという生活。
それでも誇り高く大地に根付いた生き方をしていた家長が死に、妻はやっと土地を捨てられると。
長男といえば先に都会に来て、故郷などはとっくに捨てている。ところが次男以降は逆に戸惑いと不安しかない。
しかし流石にイタリアの、特に南の大家族を仕切る母親は、猛烈で直情型の「肝っ玉母さん」。
先ず、そこに問題があると痛感させられる。何せ全員就学経験がない。長男は全家族を助けるのが当たり前だし、子供は母親に逆らってはいけないという圧を常に振り撒く。
誰もが浅はかで短絡的。様々なタイプが混在する都会では、自然相手の農業だけで生きてきた人間たちには、至極真っ当な生活など期待できない。
事実、家族が初めて見る南部では降らない「雪」が最初の仕事。男衆は子供を含めて「雪掻き」の日雇いに行く。結局、正社員などいう立場には雇用されない。
何せ全員が未就学だからだ。そこに「商売女」が絡んでくる。先ず、篭絡されるのが次男。しかも次男はボクシングの才能があると見込まれ伸し上がっていくから単純に有頂天になっていく。
商売女もしたたか過ぎるタイプで家族のアパートに居座り母親にシーツの交換まで平気でさせる。同じ女同士ゆえにクールに、まるで母親を家政婦のように上手く扱い主従関係を逆転させていく。
そこに彼女が都会で苦労して生き延びてきたという構図が透けて見える。
結果として家族の誰もが都会に吸い込まれていき、大らかな田舎の人間性を忘れて行く。
ただし、三男のドロンだけは行く行くは田舎に帰りたいと願いながら、結局気弱というか、聖人の如くすべてを許していくタイプ。
その彼にスポットライトが当たっていく。次男の愛人にちょっかいを出されたり、単純性から傍若無人になりあっという間に落ちぶれて行く次男の代わりにボクシングのチャンピオンへとなっていくのだ。
しかし、その『優しさ』から周囲を悲劇へと陥れさせていってしまう。
実に残酷な展開となり、当時としてはかなり激しい暴力シーンもでて来る。
それでもキリスト教を下敷きにした態の兄弟愛に満ち、それでいて激情的な個人感情のぶつかり合いを見事に描きだす。
象徴的だと感じるは有名なミラノの大聖堂の屋上での描写。神の彫像が何十と並び、そこにいる人間も地域の中では最上層からの景色が見られる。
とはいっても屋上の石製の神々の方が、各々個別に細長い塔のようなものの上で、外側に向いているとはいえ、間違いなく屋上の人間よりも上に存在している造り。
その下で、人間は人間同士を見下す。ところが屋上の相当なる高さから下の広場に蠢く同じ人間たちを見ると妙な立ち眩みを想起させ、「落下」という恐怖さえを感じさせる雰囲気を連想させてくるなど、唸ってしまった。
流石のヴィスコンティだと痛感させられる秀作である。
