今回も沖縄話。
コザで友人と再会し旧交を温めたり、コザ騒動の映画を観たり。
他にはTV番組で見て強い印象を受けた平和祈念館内にある資料館を訪問した。
今回は戦後80年の節目からか、何とも戦争や騒動に興味が傾いた旅であった。
目的の場所は那覇から南部方面へ11キロほどの糸満市にある。
折角、現地のみで有効なバスカードを入手したのでバスで行こうと調べてみた。
那覇バスターミナル(BT)から糸満バスターミナルまで行き、そこから乗り換えることになる。
現在の那覇BTは大きなビルになり、電光掲示板も数か国語で対応し、多くの外国人観光客がいた。
ただし、糸満行はガラガラ。それも妙に旅情を掻き立てられる。ノンビリと市街地などを抜けて行き、観光ではない生活者主体の街並みが続く。
以前はタクシーを一日借り切っての移動だったので逆に新鮮。ほとんどのバス停はスルーだが、実に読めない地名ばかりでクイズにだされたら正解は一割程度かと笑ってしまった。
終点の糸満BTに着いてまた大いに驚いた。イメージが那覇とは大違いで、東京に於けるやや大きめのコインパーキング程度のバスターミナル。
トイレも簡易設置式で外にあるし、小さなチケット売場の建物も閉鎖中。バスの運転手も外でウロウロと時間潰し。
目の前には堤防があり、少しだけ海が見える。
どうやら糸満港の外れらしく、久米島行のフェリーが出港していくのが見えた。ロケーションは抜群だ。
天気は晴天で、雲が真っ白で空気のきれいさを痛感する。本当にノンビリとしていてバス本数も少ないから待っている乗客は皆無。近くに飲食店もほとんどなくタクシー会社もない。
これでBTなのかと。だが、行く度に自分の住む地元と変わらぬ変貌を続ける那覇とは違い、これぞ沖縄での原体験だと感動が甦った。
この雰囲気が好きで通いだしてもうすぐ30年経つのだから致し方ない現実だな。
そこから次のバスで平和祈念館敷地内の資料館へ。
ここには絶句した。以前、鹿児島の知覧にある特攻平和会館を訪れた時と同様のショックを受けた。
成程、両方とも学生の研修用訪問先として挙げられることに納得した。ただし、トラウマになる子供も出ようかとも思う。大人でも食欲が失せる人も出るだろう。
それほどの内容であった。沖縄が「琉球」と呼ばれた江戸時代からの虐げられ、捨てられたと思われても仕方ない展示の連続。
成程、コザ暴動が起きて行く流れだなと。ただし、興味のない人間に見せるのは筋が違う気もした。これほどの内容展示物では「いじめ」や「脅迫」と受け取られるかもしれないから。
冷静にそう思わせてくれたのは展示方法の流れから気分が滅入っていき、日本人としてある種の罪悪感に苛まされた直後の出口に向かう最後の場所での美しい解放感である。
しかも自分の時は薄暗い展示室から出たときに、まだ室内ながら全面に広がるガラス越しに青空と海が見えたのも何かの巡り合わせだろうと。これが曇天や雨模様であったら、また違う印象だったに違いない。
嫌な印象と直後の美しい自然。考える事象は多くあると痛感した。
そこでまた感じた。気色悪いからと避けて生きれば、何かの拍子に別な意識なり価値観に洗脳されるかもなと。
平和は良いよねと言えるのは、このような歴史に翻弄され死んでいった人々の上に現状があり、好き勝手に文句を言いながらも生きていけてると思うべきだな。
個人的には何とも感じ方と考え方の再発見をした旅であった。
また、近々行かせてください。