スタッフ
監督:アルフレッド・ヒッチコック
製作:デヴィッド・O・セルズニック
脚本:ロバート・E・シャーウッド、ジョーン・ハリスン
撮影:ジョージ・バーンズ
音楽:フランツ・ワックスマン
キャスト
マキシム / ローレンス・オリヴィエ
ド・ウィンター夫人 / ジョーン・フォンティーン
ファヴェル / ジョージ・サンダース
ダンヴァース / ジュディス・アンダーソン
レイシー少佐 / ナイジェル・ブルース
ジュリアン大佐 / C・オーブリィ・スミス
クローリィ / レジナルド・デニー
レイシー / グラディス・クーパー
ベイカー医師 / レオ・G・キャロル
日本公開: 1951年
製作国: アメリカ D・O・セルズニック作品
配給: 日本RKO、東宝
あらすじとコメント
引き続きヒッチコック作品。イギリスからハリウッドに移って撮った第一作。亡き先妻の亡霊に取り付かれた館で起きるスリラー。
シーズン・オフのモンテカルロ。アメリカの成金ヴァン・ホッパー夫人(フローレンス・ベイツ)に雇われて、顎で使われている若い女(ジョーン・フォンテーン)は、一年前にヨットの事故で妻を亡くしたマキシム・ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)と知り合う。彼はイギリスのコーンウォール最大のマンダレーの館に住む上流階級の人間だった。
ホッパー夫人は何とかマキシムに取り入ろうとするが、相手にされない。逆に彼は彼女の付き人に興味を惹かれ、夫人に隠れて逢瀬を重ねるようになる。貧しい出で、薄幸だった彼女はマキシムの真意を測れぬまま急速に惹かれていった。だが、ホッパー夫人の娘の結婚が決まったとの連絡が入り、すぐに帰国すると言いだす。すぐさま帰国準備に追われる彼女は、やっとの思いで、マキシムに連絡を取った。ことの次第を話すと彼は彼女に告げた。「ニュー・ヨークへ帰るのと、僕とマンダレーへ行くのとどちらが良い?」「秘書が欲しいのですか」「結婚しようと言ってるんだ」そのひと言で、ド・ウィンター夫人となった。
ホッパー夫人に別れを告げ、二人だけで結婚式を挙げるとマンダレーの屋敷に戻った。そこは女中頭のダンヴァース(ジュディス・アンダーソン)が、取り仕切るどこか陰湿な感じのする屋敷だった。新夫人として紹介されるが、ダンヴァースの眼は異様だった。どうやら前夫人に心酔していた彼女は新しい妻の言動を常に対比しているようだ。彼女に限らず、屋敷には謎めいた人物が徘徊していた。
ある日、新夫人は開かずの間になっている前夫人の部屋の前に佇んで・・・
ヒッチコックが渡米して撮った第一作で心理スリラーの佳作。
原作は女流作家ダフネ・デュ・モーリア。ヒッチコックは彼女が好きらしく彼女の「鳥」(1963)も映画化している。
映画は当初、薄幸な美人が、いわくあり気の金持ちの後妻に入るというサクセス・ラブ・ロマンス風に展開する。しかし、その金持ちがどうも謎めいているという伏線が張り巡らされ、やがて、イギリスの屋敷に戻ってから一挙にサスペンスフルな展開になる。前回の「サイコ」同様、二部構成の趣だ。
今見ると、確かに古臭い設定だし、当時の鷹揚なリズム感に眠気を催す御仁もいるかもしれない。確かにイギリスから渡米したことで、様子が違ったのか、いささか混乱しているフシもある。
ヒッチコックを招聘したのは当時アメリカの大プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニック。「キングコング」(1933)、「風と共に去りぬ」(1939)や以前、ここで扱った「第三の男」(1949)などを作っていた超大物だ。また、セルズニックはヒッチコックと本作以降、「断崖」(1941)、「白い恐怖」(1945)、「汚名」(1946)、「パラダイン夫人の恋」(1949)と5本もコンビを組んでいる。
当初はタイタニックを「風と共に去りぬ」以上のスケールで映画化したかったセルズニックが、どうせならイギリス人監督に撮らせたいとヒッチに白羽の矢を立てた。ヒッチコックもその気になって演出プランまで考えていたが実現せず、結局、この作品になった。もし実現していたら、映画史が変わったかもしれない。
とは言え、流石のヒッチコックである。イギリス系の俳優を多く起用し、舞台の設定もイギリス。だからか、イギリス時代の作風が色濃くでている。
ストーリィ展開としては、主人公の回想形式で始まる。つまり、観客は冒頭に現在の様子を知らされ、いかにそこに話が進んでいくかを推理しながら見ることになる。その過程で様々な伏線を張り巡らせ、観客を幻惑させる手法がとられていくあたりは流石のヒッチコックである。
特に前妻レベッカの死に関する謎が大きなウエイトを占める。屋敷内に残る数々の前妻の残り香。頭文字「R」の刺繍が入ったハンカチやレター・セット。趣味の良い置物や調度品。
それらを愛しそうに眺める女中頭。その異様なまでの視線で、新夫人を見つめる彼女の言動。やがてそんな女中頭が本性をだし、ヒロインに対峙しながら、催眠術でもかけるように接するくだりなど、寒気がする。こういった絶妙なサスペンスの盛上げかたは見事だ。
更にマキシムが誰もいない部屋で、新夫人に向かって、かつてそこでのレベッカの言動を説明しながら、さも、そこにレベッカがいるかの如く、カメラが誰もいない部屋を舐めるように移動するシーンには鳥肌が立った。見えてはいけない彼女が見えてくるような錯覚に陥る。中にはレベッカの亡霊が見えると思う観客がいるかもしれない。
ヒッチコックとしては過渡期の作品。しかし、既にヒッチ・スタイルは確立されていることを痛感できる。
やはり歴史に残る監督は違う。