先立ての日曜日。阪神淡路大震災から15年目の日であった。
テレビなどで様々な特集が組まれ、当時を知る被災者のインタビューや、実際に現地取材をした報道者たちの涙ながらの思い出をいくつも見た。
一方、南米ハイチで起きた大地震も、時をほぼ同じくして連日報道された。
同じような震災映像に心震えたが、貧困や政情不安から来る、その後の強奪や発砲という治安の悪化には、まったく違う印象を受けた。
満ち足りたがゆえに、礼節を失った日本人も多くなったと嘆くことも多いが、それでも、価値観なり、レベルの格差を痛感した。
もしかしたら、報道されないだけで、どちらにも違う一面が存在したのかもしれない。
しかし、民族というか、人間の『個』の違い。その違いは重いという印象を強くした。