このところ、「生食用」の肉が騒がしい。死者まで出れば当然だろうが、個人的には残念でならない。
何せ、好きで顔を出す店は、その手の商品を扱うところが多いからだ。ただし、チェーン展開する「焼肉屋」や、何故、こんな品質で高額なのかと首を傾げる店とは違い、場末の酒場系である。
少し前に、女性たちにもホルモン人気が広まり、『ホルモンヌ』なる言葉も出来て、ある程度、定着していた気もする。中には「白モツ」なるメニューも登場し、驚いたものだ。食するのは肝臓なので「フォアグラ」と同じであり、100匹にひとつあるかないか、という希少価値だとの謳い文句であった。そのことを昔から「もつ焼き屋」を営むプロのご主人に尋いたら、「あれは病気で、肝硬変の内臓だから捨てていた」と。
そういえば、昔はマグロといえば赤身で、トロ部分は捨てていたとも聞く。ところがどうだ、今や、立場は逆転である。商売として定着させて行けば、何でもありということだろうか。
ただし、ビジネスが優先されると、弊害が起きることもある。そして、上から基準が設定され、命令が下される。妙に頑固で、プロ意識があるからこそ、低姿勢の小さな店は、やがて消えゆく運命なのだろう。
せめて、それまで死ぬほど食べておくか。それとも、「当たって死んでも恨まない」と誓約書を書いて、食べさせてもらうか。まあ、そんな事態になるには、もう少し時間が掛かろう。何たって、復興支援さえ覚束ない状況だ。
こんなことを書いていたら、無性に食べたくなった。さてさて、やっぱり、今日も出て行く呑んだくれ、だな。