荒野の決闘 – MY DARKING CLEMENTINE(1946年)

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スタッフ
監督:ジョン・フォード
製作:サミュエル・G・エンジェル
脚本:S・G・エンジェル、ウィンストン・ミラー
撮影:ジョー・マクドナルド
音楽:アルフレッド・ニューマン

キャスト
ワイアット・アープ / ヘンリー・フォンダ
チワワ / リンダ・ダーネル
ドク・ホリディ / ヴィクター・マチュア
クラントン / ウォルター・ブレナン
モーガン / ワード・ボンド
クレメンタイン / キャシー・ダウンズ
ヴァ‐ジル / ティム・ホルト
ソーンダイク / アラン・モブレイ
ビリー / ジョン・アイアランド

日本公開: 1947年
製作国: アメリカ J・フォード・プロ作品
配給: 20世紀フォックス

あらすじとコメント

名匠ジョン・フォード。前回の「リバティ・バランスを射った男」(1962)(前回発行時(1937)は語表記)は、彼の最後の輝きを放つ作品であったが、今回も名作。『抒情派』西部劇として、映画史上に名を残す金字塔。

アメリカ、アリゾナメキシコ牛を遥々カリフォルニアまで移送させているワイアット(ヘンリー・フォンダ)と三人の兄弟たち。その一帯を牛耳るクラントン(ウォルター・ブレナン)一家が、彼らの牛に目を付けた。何も知らぬワイアットらに、近くに町があると教え、暫くぶりに楽しむと良いぞと勧めた。

その晩、ワイアットらは、四男を見張りに残し、トゥームストーンの街に繰りだした。しかし、そこは荒れた町で、酔っ払った先住民が銃を乱射して暴れていた。身の危険を感じた保安官は、兄弟らの眼前で職務放棄する始末。するとワイアットは手慣れた感じで、先住民を取り押さえた。驚いた住人らは、その場で保安官への就任依頼をするが、断るワイアット。

そして彼らが元の場所に戻ると、牛がいなくなり、後ろから射たれた四男の死体が横たわっていた。恐らくクラントンが犯人だと気付くが、証拠は何もない。

意を決したワイアットらは町に戻ると保安官職を受諾した・・・

西部劇として、映画史上に名を残す秀作。

私怨から荒れた町の保安官に就く正義感溢れる兄弟。しかも主人公である長男は、西部で名を馳せているガンマンでもある。しかし、自らを誇張し、存在感を示そうとするタイプではなく、逆に物静かな男だ。

そんな主人公は、酒場を経営する元医者の男と知り合い、知己を得る。

有名なストーリィで、何度も映画化された作品。その中でも、詩情溢れる描き方で、アメリカ映画絶頂期の余裕が感じられる一本に仕上がっている。

力が正義であると疑わず、本能の赴くままに、後ろから平気で人間を射殺する男を父親に持つ、荒くれ者の子供たち。

分かりやすい「悪役」としての設定。彼らの傍若無人な態度から最後は「私怨」という形で決闘する主人公たち。

元医者は、全盛期の自分を慕ってやって来た上品な看護師である恋人に、後ろめたさを感じている。一方で、自分こそ元医者の結婚相手だと名乗りを上げる直情型の酒場女。

元医者を軸にした三角関係に、主人公の淡い思慕が絡んでくる。

「じれったい」といえばそれまでの正調『浪花節』的設定の展開。誰が見てもわかりやすく、会話によってでなく「あうん」の呼吸で描かれる男たち。

派手なアクションを用いずに描きだす西部劇の世界。

これぞアメリカという大自然を背景に描かれるのは、どこか牧歌的な人間模様。それでも、さりげないサスペンスが盛り上がり、実に心地良いリズム感と悠長なカメラ・ワークで進行する愉悦。

大作ではないが、秀作と感じざるを得ない、まさに正調ジョン・フォードの世界だ。

ある程度は脚色や誇張もあるだろうが、それでも、本作で描かれる強さと優しさを併せ持つワイアット・アープ像は見事だ。

演じているのが名優ヘンリー・フォンダということもあるが、それは実際のアープ本人をフォードが見ているからだろう。まだ、フォードが助監督で、映画黎明期のころ、撮影現場にアープがやってきて見学していた時に、世話をしたのがフォードなのだ。その時の印象が生かされていると感じる。

21世紀の現代では、何てことないというか、メリハリがなくて、つまらないと感じる人も多いに違いない。

人はそれぞれだ。だが、昔、アメリカ人や日本人が、本作を見て、満足できた時代特有のリズム感があったことは忘れてはなるまい。

世迷言かもしれないが、失われたものは美しい、と感じさせてくれる秀作である。

余談雑談 2014年12月20日
いやー、寒い。今回は旅の空からの配信。現在、旅館のテレビから、日本のあちらこちらで、強烈な寒波の影響が出ていると流れている。 自分が旅に出たのは水曜日で、その日から特に注意喚起が報道されていた。とはいえ、せっかくの旅だとばかり出発。 だが、