自分は中高一貫の男子校出身。数年に一度催される学年全体の同窓会は、自慢と愚痴のオンパレードの上、ゴルフ好きばかりが主導権を取り、昨今はコンぺが主体。嗜まない自分は、参加できるはずもない。
一方で、高校三年の時の文化祭で、暇人が参集し舞台公演を催した仲間たちがいる。そいつらとは、年に二度集まる会がある。
来週、そ奴らとの会合がある。毎回、何らかの美味いものを食べようという趣旨であり、今回は「鰻」だ。
前回の時、出世頭の奴が、次回に関しては、江戸文化なり、昭和の残り香が漂う家屋で、昔ながらの飲食をしたいと願い出ていた。自分も同じ嗜好なので大賛成した。しかも、そいつは仕事の関係で、現在、北海道に住んでいて、わざわざ上京だ。
場所は、神田にほど近い一軒家。十年近く前にも、そこで催した。今回、幹事は別な奴が担当である。
ところが、である。鰻の高騰で値上がりし、コースは7500円か、1万円で、飲み物、税サは別と連絡がきた。「オジサン三人旅」を来月に控えている自分としては、息を飲んでしまった。
で、一応、参加者の意向を尋きたいと。言い出しっぺの出世頭が、酒も飲みたいので安いコースをと先陣を切った。今度は、酒を飲まぬ真面目な公務員が、たまの贅沢だから高い方をと。その他にも、酒を飲む奴と飲まない奴でも、コース料金自体に温度差が生じた。
自分は、潔くコースなど取らずに必要なものだけで酒をメインにしたいと考えたが、卒業後、それぞれが歩んだ人生によって培われた価値観の違いを感じた。まあ、高校の文化祭で演った作品が「十二人の怒れる男」だから、是非も無しであろうか。
下町っ子を気取り、宵越しの銭は持たねぇと粋がって生きて生きた自分。確かに貯金はない。それでも浪費することは天才的とも感じる。その上、仕事嫌い。
そんな価値観の奴は、仲間内に誰一人としていない。通常であれば、弾かれるタイプ。損得のない中高時代の仲間だから許容して貰えるのか。
やはり、持つべきものは友である。でもな、どうせ1万円を超えるし、その後は決まって甘味処へハシゴするのが習わし。こちらは毎回、何故、酒を飲んだ後に甘いものなんだよ、と胸焼けがするのだが。
しかし、持つべきものは友である。来月のオジサン三人による沖縄旅は、社会人になってからの友だ。「友」であることに違いはない。
違いのないのは、昔からの自分の性格もである。ランチ代をセーブし、外でコーヒーを飲むのを我慢して数日経つと、心持ち財布が潤ったと感じ、浮かせた以上の金で飲み屋に出向く性分。
数十年も、常に金欠を感じている。でも、借金をしてまで飲みに出掛ける癖は完治したのが幸いか。
まあ来週は、鰻に長いお別れを言うために挨拶に出向くと捉えるか。