スタッフ
監督:デニス・ホッパー
製作:ピーター・フォンダ、バート・シュナイダー
脚本:P・フォンダ、D・ホッパー、テリー・サザーン
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:ザ・バーズ
キャスト
ワイアット / ピーター・フォンダ
ビリー / デニス・ホッパー
ジーザス / アントニオ・メンドーサ
ハンソン / ジャック・ニコルソン
カレン / カレン・ブラック
旅人 / ルーク・アスキュー
ジャック / ロバート・ウォーカー Jr
メアリー / トニー・ベイジル
リサ / ルアナ・アンダース
日本公開: 1970年
製作国: アメリカ レイバート・プロ作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
アメリカ南部という場所。前回までは、そこに住む、いびつで閉鎖的な人間を描いたドラマだった。今回は、広大なる土地を移動しつつ描かれる若者たちの生き様。それでもやはり、いびつだ。
アメリカ、ロサンゼルスメキシコから密かに運び込んだ麻薬の取引で大金を得たワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)は全額を隠し持ち、お互いの愛車であるハーレー・ダヴィッドソンにまたがると旅にでた・・・
アメリカにおける自由とは何かを問う、アメリカ映画の歴史を変えた一作。
違法行為で大金を得た若者二人がアメリカ横断の旅にでる。目的は、あるような、ないようなイメージだ。
否や、片方には、明確な目的がある。しかし主人公は虚無的だ。前向きな「自分探し」でもなく、かといって排他的でもない。
そんな二人が旅先で出会う人間との関係や、経験する非情な現実を寄り添うように描いて行く。
先ず、彼らが知り合うのはヒッピー男。彼がいるコミュニティに立ち寄るが、そこで待ち受けていたのは閉塞感と絶望感。
当時、ヴェトナム戦争真っ只中であり、兵役拒否する若者も多く、彼らは自由と平和を掲げ、ヒッピーと呼ばれる存在であった。
しかし彼らも、現実には目的を持たず、ただ、模索し、勝手な行動を取るだけという、ゆがんだ世界を彷徨っていると描いていく。ここでも、主人公はやはり、虚無的だ。
続いて彼らは、メキシコ人の妻を持ち、家族で農業を営む家族の元に立ち寄る。主人公は、ここで、ホッとした安堵感を漂わせ、彼らを称賛する。
だが、一方で、南部の保守的人種の格好の差別対象者となるのだ。
星条旗が描かれたヘルメットに革ジャンの主人公。相棒は長髪で薄汚く、アクセサリーまで付けた男だ。
そんな彼らを絶対に許容しない価値観。閉鎖的な世界の中での仲間意識の塊でいて、自分らの価値観が絶対であると疑うことすらしないような連中だ。
そこでは実力者を父に持つ優等生のお坊ちゃまと知り合う。しかし、彼は閉鎖的なコミュニティの中に溺れ、アル中だ。
自分を打破したいが、できないで酒に溺れる日常。そんな彼は、主人公らに同行を願いでる。
エリートであり、保守性を大事にしている。それでも、ためらいながらもマリファナを吸引し、主人公らに同化しようとする。
その彼が吐く台詞は素晴らしい。「自由を説く者と自由をなす者は違う」。だから、『常識人』として生きている側からすると、主人公らの行動に嫉妬しているのだと。
その一方で、宇宙人が来ていると言ったりもする。本作で一番雄弁で、映画の趣旨を表現する代弁者である。
星条旗が描かれた服装で、広大な自然の中を走る『自由』は、愛国者にも見えるし、逆に、閉塞感と不自由さを並走させる。出口のないことを知りつつ、それでも、何らかの未来を信じて旅を続けるのか。
本作以前でバイク・ライダーを描いた作品は「乱暴者(あばれもの)」(1952)、「地獄の天使」(1967)などがあったが、どれも若者の暴力集団として描かれていた。
しかし、本作は違う視点で描いたことが重要であろう。それは主人公らは、どんな迫害や暴力を受けても、絶対に自らは暴力に頼らないのである。
無鉄砲で、はぐれモノというイメージがあるバイク乗りタイプに真逆のことをさせる。当時のヴェトナム戦争に対する強烈なるアンチテーゼでもあるし、静かに主人公らの心情とスタンスを描くことに成功している。
低予算であり、即興的な作品。「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれるジャンルのエポック・メイキング的作品と位置付けできる。
当時としては斬新なカットバックによる映像表現。まるでドラッグによる覚醒反応のようだ。そして、風景や彼らの姿に見事にマッチする心に沁みるザ・バーズの音楽起用。
自由は虚しいものなのか、それとも辿り着くのは夢の世界なのか。
制作されてから半世紀近く経つが、彼らはどこかで、今でも永遠に走り続けていると感じさせる秀作。


