相変わらず夏らしからぬ東京。そんな中、つい先立て、所用で文京区の外れに出向いてきた。
周囲は文教地区で、私立や国立の学校が多いのだが、流石に夏休み中で、実にのどか。
地元の常に混雑する観光地とは別世界で、蒸し暑かったが、これが東京かと感じた。
そこまでの移動手段はバスで、乗車時間は30分もかからぬが、バス以外に自室と目的地まで双方約1キロの徒歩が必要。車を持たぬし、交通費も経費で落とせないので、徒歩以外の唯一の選択肢なのだ。
そんなバスも閑散としていて、どこか観光気分で楽しかった。
気分的にはこの程度が好きである。どこか自分に合った、人間らしい時の流れのリズム感だから。
否や、たまにだから良いのか。観光地に暮らし、近距離の外出も電車かバスで30分程度が限度。それ以上は、小旅行と位置付けしているほどだ。なので、何かなければ地元、というか、自室から出なくなった。
何とも、様々なことが億劫になった。地元では観光客独特の歩く速度、逆に、都心に出ると忙しない歩き方。そのどちらも苦手になった。
まあ、これは自分の居場所が起因であって、車がなければ生活できないとか、小さな地域ではプライバシーなど存在しないとも聞く。もし、移住などしても、そういった環境では、新たに別なストレスが溜まるだろうし。
結局、手に入ると、また違う「ないものねだり」が発生するのが人間か。
それも、実現可能なことだったら、まだマシだろうな。気に入れば熊鍋と温泉セットや沖縄などには、何度も行ける。
だが、失くしてしまったものは不可能である。録画して見る旅番組にしたって、「男はつらいよ」シリーズの旅情には程遠い。
都会に生まれ育ち、何と贅沢なと思われるかもしれぬが、やはり、不便さと、のどかさの中で流れる空気感は戻って来やしない。
閑散とした都心を、空いているバスの窓越しに見ながら、何で、こんな心持ちになるのかと苦笑いした昼下がり。