今回の都々逸。
「ここが思案の上野をすぎて 花の吉原来てまよう」
東京の地理がわからないと、ちょいと理解しづらいかもしれぬ。
昔は北の玄関口と呼ばれた「上野」から北北東に約2キロの場所にあるのが「吉原」である。そこが何を意味するかは、男性ならずとも知っているであろう。
昔は『遊郭』、今は『ソープ街』。とはいっても、随分と現在の吉原は廃れたようだ。二度目の東京オリンピックに向け更に寂れていくのだろうな。
数年前までは、閉店した三河島のもつ焼き屋に地元から徒歩で向かう途中で吉原を抜けたが、既に寂れていた印象である。
ただ、夕刻だったので、運が良いと出勤する女性を見ることができた。それだけでも、どんな女性なのかと興味津々ではあったが。まさか、バスも使わず徒歩で4キロも歩いて呑みに行く身分。間違っても、入ることは叶わない。
とはいってもこの詠は、既に行く気満々の御仁を指すに違いない。ある意味、「ぶれてない男」か。
つまり、行って迷うのはお相手選びであって、それなりに散在できる身分。
かつて吉原の近所に住んでいた猛者の先輩がいて、若い頃、銭湯に行くため風呂桶と石鹸持参で歩いていたら、懐にそれなりの金があったので、ウン万円の高級銭湯に行っちまった、と笑ってた。
その方も既に鬼籍に入り、昭和の残り香も石鹸の匂いではないが、立ち消えて、来年は平成も終わる。
今年もあと二ヶ月。早いような、短いような。