置いてけ堀というよりも。ちょいと後ろ向きを自認する自分の価値観は、一体どの時代で止まったか。
一番新しいBDプレーヤーですら、友人から貰ったもので、既に10年が経過した。
それに録画してはディスクに焼いて保存し、容量を一定に維持しつつ大事に現在も使用中。この『焼く』という表現だって、今の人には放火犯と思われはしないかと過る。
他にも、大事に保存し捨てられないものにビデオ用3色ケーブルがある。これを知らない若者がいて驚いた。
しかも、昔はオーディオコードは太いほど音が良くなると言われセンチなり、メートル単位で売られていて高額。
それを更に赤、白、黄色が一組になったケーブルではなく、ジャックというか、差込端子まで別に買って自作した。まあ、音楽に関しては真空管アンプやら、今でもオーディオ系は高額だが。
それなのに画像は、今やUSBで当時以上にクリアになるから嫌になる。便利だし、きっと音質も黙って上昇だろうが、イマイチ付いて行けない。
何事も便利が前提だが、金銭的余裕がある人は、自分同様減少中だろう。若い層は特にというか、その中でも価値観も様々になった。
例えば、地元に立ち飲み専門のイタリアン・バールがある。営んでいるのはオシャレ系な若い店主。その彼に、ほど近い場外馬券場近くに安い立ち飲み屋があり、そこにも行くと言ったら怪訝な顔をされた。
要は客層の問題で、労務者が多く汚らしい、と。立ち飲みとはいえ、イタリア製限定のワインと、名称不明の焼酎。比べれば、確かにそうだ。
だが、向こうの立ち飲み屋には『センベロ』にどこか憧れて来る小奇麗な格好して、中途半端な知ったかぶりで、他人に奢ることもなく、俺の話を聞けと頭でっかちの薀蓄を誰彼構わず語る嫌な輩は少ない。
まあ、自分がそのバールに行くのは、懐が潤っていた時代に何度も訪れたイタリアに思いを馳せ、軽く一、二杯飲むという見栄の張り方なんだけど。
以前は他の客とも話したが、訪伊経験が一度で、かなり知っていると語る夫婦がいたりして、こちらに説教じみたイタリア経験とワインの能書きを語られ、酔いが醒めて怒りが沸き上がった思い出もある。
それでも昔から安酒場は、地元でも、場末の極北「山谷」を含み、汚いが、自分の立場を知っていて、絡むことなく静かに酒を飲む客が多かった印象。
夏などエアコンもなく汗臭い連中ばかりで、ドアがある店は全部が解放されていた。今でも『換気』が大事なのは知ってっている。ただし、あれは完全に昭和の時代の話だが。
ネクタイ姿のサラリーマンでなく、誰もが作業着か工務店の制服姿。無精髭に日焼けた顔。歯は黄色く、みそっ歯だ。
だが、自分の仕事には絶対の自信があり、それが顔付きや雰囲気に滲み出ていた。
やっと背伸びして、その手の店に飲みに行けるようになるとどこか『大人』として憧れた。
そういえば若い頃、大人に憧れ背伸びする価値観って、今の時代、どの程度残っているのだろうか。無理せず、妙に大人な子供たち。
でも、ちゃんと大人的大人にはなって行ってくださいな。