何とも前倒しな梅雨明けをした東京。その前後から灼熱地獄を連想させる赤い太陽マークの連続で6月としては史上最悪。
だが、日頃の行いが良いのでしょうか、そんな東京から、現在逃避行中。まあ、沖縄なんですが。早割りで安いツアーを探し予約した日程が丁度、今だった。やはり自分は持っているなと、笑みがこぼれるのは嫌な奴って証左でしょうがね。
先ず、沖縄に来て感じたのは本当に避暑地になったんだと。確かに日差しは格段に強いが、東京と違い空気が淀んでいないし、湿気が驚くほど違うから、あきらめというか、むしろ心地良い。
それでもこちらの人たちは、今日も32度だと閉口しているから面白い。これが地域差なのかもしれないな。仕事で外出したり通勤して頑張る人たちは何ともご苦労なこったと同情します。だって、東京は体温と同程度なんですから。
ただし、マスク使用は那覇市内では、ほぼ完璧に着用。東京では外して歩いていた自分としては、これが同調圧力かと苦笑い。でも、まだ感染者数が全国で3位ぐらいじゃ、当たり前かも。
で、メインは4月に行けなかった離島行き。ほぼ4年振りで訪れた島は晴天。港まで出迎えてくれた民宿の若い女性は暫くぶりですねと。本当に覚えているのかな、もしかしてキャバクラの営業的受け答えじゃないのと思ったのは、こちらの性格が災いか。
宿には別なベテランの女性スタッフがいたが、今は離職して那覇にいると。そちらの方は東京八王子出身の移住者。以前、独り旅のこちらを初見で、貴方も移住してはと即座に言った人だ。何か同じ匂いを嗅いだのだろうか。
なので現在、スタッフは宿主と彼女だけ。それで10室すべてが満室だと。だから夕食はなしも納得である。まあ、最後の時も夕食がなくて近くの居酒屋を紹介してくれた。今晩もそこでいいか。
早速、訪島すれば絶対に顔出す海の家的な店に行き、もう40代後半になる息子に挨拶。母親はまた那覇に行っていて一人だと。だから料理は一切できないから、前の店で買ってくれと抜かしやがった。
とはいっても手土産で釣ったので、マグロの刺身がでてきたから缶ビールを貰った。前の店はオシャレな感じでロコモコ丼やタコスは柄じゃないし、パスと決めて荷物を預けたりビーチチェアを借りて敷地内で甲羅干しと相成った。
夕刻、流石に今回は海に入るかとビーチへ。それにしても絶品のケラマ・ブルー。久方振りの海。海水は塩味だったと思い出し、力を抜いて仰向けに浮かぶと水面下の耳に入って来るのはやわらかい波の音のみ。空は澄み渡り、至福の時間だった。
陸に上がり、店の息子に次回のためにと連絡先を尋いたらストレスになるから嫌だと抜かしやがんの。まったく、な。
夕食は以前にも行き、海の家の息子も同じ店名を挙げたのでそこにしようと。ところが、好事魔多しである。
今夜は貸切でダメだと。確かに民宿の真隣であり、夕食なしなのに部屋も満室。もう一軒ビーチの近くにあった。ところが開店が遅いようだ。
狭い集落を二回も周回し、陽が沈み波の音だけが強調される時間に再訪したが、そこも貸切と断られた。
何てこった。島にコンビニはなく共同売店が一軒のみで、そこが閉まったら昼夕抜きだ。選択肢はなく、その島では初めての体験になった。
慌てて店に行くと同宿の若者二人が同じように断られたのか、おにぎりや酒とツマミを買っている。おにぎりは残り二個。当然、最後のやつと乾きものスナック、ロング缶ビールを慌てて買った。
確かに自分同様コロナ疲弊で、ここでひと段落と喜び勇んで来島したと思しき集団が外国人を含めて大勢いた。それなのに夜営業の飲食店はほんの数店。
ここで夕食付きの宿にしなかったことを後悔した。昔、定宿にしてた所は夫婦老齢化かかなりの頻度で断れたから宿替えをした。それにしても、ここでつまづいたか。
宿替えをしなけりゃ今後も夕食難民。もしくは、毎回「おひとり様予約」だが、何だか気が引ける。海の家のお母さんも、もう数年も会ってない。果たして、お元気なのだろうか。
国立公園に指定されて早8年。大掛かりな再開発は出来ないが、移住者も増え、他の店の島民たちも随分と垢抜けて都会人並になっていた。
そろそろこの島も潮時なのか。それでも、この島の最大の魅力。
月明りから夜明けを迎える砂浜で、満天の星空の移ろいを、たった独りで波の音と共に堪能する一時間強の哲学的で感動的な時間。
宿の食堂で簡単に済ませた飲食後、就寝し夜明け前に海岸に行ってみたが、風が強く、多めの雲の早い移動で星が思うほど見えず。終いには遠方で雷光が雲間を走るのが見えた。
その夢も果たせず、か。