心にポカリと開いた穴。
何せ長年通った心のとんかつ屋の閉店。いかんともし難い空虚感に忍び込む秋風。
閉まる直前まで週一で通っていただけに、強制変更となると何とか揚げ物ランチを再編入させたいという希望が膨張。思い当たったのが存在を知りつつ未入店のとんかつ屋。数軒あったのを思い出し食べに行ってみた。
成程、長く続いている店で味は一定していると感じたが、口が慣れていないのか、妙に違和を覚えた。しかも値上げラッシュのご時世に初見で入る。価格も値上がり後らしく、割高感が勝る。
となると個人的にお気に入りのとんかつ屋は、もはや一軒しか残ってないことになる。
そこはカウンターのみでメニューもロースかヒレ程度しかない。元々は古書店が立ち並ぶ神田神保町発祥で、親父さんは地方から就職でやって来た若者に女性スタッフと職場結婚させ、東京千代田区内で暖簾分けシステムとして展開してきた格安店。
発想が昭和的で、安く旨いものを提供しようとした名店系列。暖簾分けが同区内というのも仕入れが同じで済むし、仕入れ量などで各店舗の状況も把握か。
しかも誰もが知り得る地価家賃が高い場所。当然出店は完全路地裏で、できれば一軒家で上階に夫婦して住めとも指導したとか。愛着と責任感が増幅されるからだろうか。
自分は中学時代から神保町の本店に出入り。本店自体はとっくに閉店し、暖簾分けの店もほぼ全店行ってみたが、現在東京は二軒のみになった。なのでトータルで考えると、もう半世紀以上も胃袋が世話になっている。
店主さんたちの年齢を考えれば、そこもカウント・ダウンだろうか。ただし、現在の自分には若干の鬱憤が。
カウンターのみで路地裏というのは絶好のロケーションなのだが、唯一アルコール提供が一切ないのだ。昼間から足腰立たぬほど飲むまで落ちぶれちゃいねェが、一滴もご法度というのも癪に障る。
ましてとんかつ屋の親父はガススタの時代から知っているので、現況の無職の自分に対して働けよバカと言ってくる。フンだ、働らかなくても生きていけるのは才覚か、強運ってもんだぜと言い返したくなる。当然、言い返せはしないが。
しかし、今年に入って自分が好きな食堂なりの閉店ラッシュが続く。完全閉店とは張り紙してないが、「当面休業」の札が去年から貼ってある食堂も2軒ほどある。
恐らく張り紙が剥がされることはないだろう。ということは先立て書いたとんかつ屋で、一体何件目か。
長引いたコロナ禍で心が折れたり、やっと落ち着いたかと思えば信じ難い値上げラッシュ。客筋を考えても真剣に悩むような店ばかりだった。
そもそも簡単に転嫁できるような店は元来好きじゃない性分。となれば店側も苦汁の選択として経営者の年齢も相まって閉店に舵を切る。
でも、考えれば幸せな人生だよな。ネットの星評価や勝手書き込みの口コミ情報に無頓着で左右されるのではなく、知人友人の直接紹介なり、実店舗の前で自分の嗅覚を信じて入る。
そして店主らと懇意にしてもらい通う。そこでやっと裏メニューの登場である。常連として認知されたと、少し大人になった気分だった。
その手の店は流行や時流に乗って繁盛店となるのとは違い、長く継続していく飲食店。安くても汚くても、それなりの客筋が付いて来る。
わかる人にだけ感じるオーラというか品格が横たわるのも共通だった。自然と背筋が伸びるし、酔っ払うほど飲んではいけないと理性的にもなれる。
そうやって鍛えられたというか、大人にしてもらった印象ばかり。昭和的と言えばそうだし、時代錯誤でヘンな差別偏重と思われるかもしれぬ。
こんな自分では想像付かないが、今の時代に生まれ成長していく人たちには飲食店なり店の品格を嗅覚で感じる感性は育っていくのだろうか。否や、そんなことまで飲食に賭けないか。
だとしたら、自分は幸せな人生だ。飲食の思い出がこれほど豊富なんだから。