余談雑談 2023年10月14日

価値観とリズム感。

数少なくなってきたお気に入りの飲食店。その中の自室から2キロほどの場所にある一軒。暑さも和らいだので久々に覗いてみた。

有名店でもあり行列が出来ることもある。開店直前に行くと十数名の行列が。テーブル席に座敷もあるそれなりの広さなので簡単に入れたが、単独客だったのでオープン・キッチンのカウンター隅に誘導された。

一席空けて女性単独客が坐り、続いて自分より年長と思しき紳士が四席先に坐った。ポロシャツにデニム。真っ白な短髪でタブレットを持参。

こちらは先に入っていたので注文済み。するとその人は、自分と同じランチを頼み、同じく大瓶ビールも。さらに、ツマミにと自分はランチ用ポテサラだったが、向こうはコロッケ一個を追加。そして悠然とタブレットで小説を読みだした。

どこか物分かりの良いイケてる親父然。黙ってビールを注ぎ、小説を読む。スマホでないところに余裕を感じさせるが、同年代としてはそこは文庫本とか、新書判にして欲しかった。だが、それを演じている感が漂い何とも格好付けのイメージがした。そんな感じ方だからダメなのかもしれぬが。

コロッケが来て、箸で割っては口に運び、ビールを口にする。やがてメインが供されライスが置かれても余程面白いのかタブレットから目を離さない。一方、こちらはタブレットもスマホも持たずだし、一心不乱に黙って食べた。

そもそも料理が冷めていくのを承知で、悠然と食べたりするのは苦手。東京下町のせっかちな地域で育ったからか、とっとと食べないと横から箸が出てきて、欲しいものがどんどんなくなるイメージがあり、ガツガツと食べる癖がある。独食時でも口に合うものは尚更である。そういえば小学校時代は食べ方を見て「欠食児童みたいだ」と笑われもした。

一方で、ゆっくり食するのは優雅だし、育ちの良さが出ると思う人もいるだろうし、しばらく経ってから食べると、また別な食感なり味変が楽しめると言う人もいるが、自分とは価値観を異にする。ましてテレビ出演タレントでもないし『美味しい』と大袈裟に頷いたりせず、若干目立たないよう静かに、だが必死に食べた。

いかにも自分らしい格好付けである。だって大袈裟な振舞いは舞台なら兎に角、TVや映画だとヘタな役者がする表現だと思っている。自信がないから大袈裟にして大きく見せる。クジャクや虫の求愛行動じゃないんだから、そんな格好付けはみっともないし、あくまでさりげなくじゃないと『タダモノじゃない』とは間違われないでしょ。

更には、小さいころから着ている服や、持ち物で「いかにも大物だろ」と判断しろってのは野暮ってんだよと教わってきたし。やはり雰囲気や品格ってのは『作る』のではなく『醸す』というのが正しいとも聞いた。まあ、時代の趨勢で価値観も変わるか。

でも、その時はカウンター向こうで仕事をしていたコックが自分の食べ方ををチラチラ見ていた気がする。中々、出来た客だと気付いてくれたかと自惚れるのが悪い癖。気の所為か、逆に下品な奴めと思われたのが関の山。どうであれ元々好きな店だし、付け合わせも飯粒も残さずに完食したので『美味しかったですよ』の合図にはなっただろ。

すぐに再訪すれば、少なくともコックさんには認知してもらえるかもしれない。少し盛りが良くなるとかにならないか。

なんぞと思うが、頻繁にいけるほど安くないんだよな。

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