余談雑談 2024年5月11日

東京下町は夏祭りシーズンに入った。

五月の黄金週間明けの翌週である第二週末から、あちらこちらで順次開催される。「表裏」の関係で二年に一度とか四年に一度とか開催されるものもあるが、観光に特化したのか毎年開催の祭りもある。

自分の住む地元もそれである。コロナ明けから待ってましたとばかりに大騒ぎが再開された。この時期、ここで何度も書いてはいるが、やはり触れたくなる。

つい先立てもコンビニに行ったら、自分の前のレジ待ちオジサンに向けてバイトの店員が「祭りが近付くと地元の皆さんソワソワとし出しますよね」とにこやかに発言。でも、よく買いに来るからといって地元の重鎮とは限らないぞと思いながら、自分へ向けられた言葉でなくて良かった。瞬時にどんな顔になったことやら。

間違いなくソワソワする人も多いとは思うが、地元の衆よりも『やってくる担ぎ手』たちの方が期待度は高いに違いない。実際に神輿が上がると担ぎ手は大勢がトランス状態に陥り、何かの宗教的儀式かのような恐怖さを感じさせてくる。

確かに神輿渡御は宗教的行事ではある。しかし、本来の意味を逸脱し楽しく騒げれば良いという集団が歪曲した態である。

インバウンドも年々増加し、ギャラリーが増えると揃いの半天を着て同じ動きをするので己らが人気アイドルグループとでも自惚れるのか、国際交流とばかりに面白がって外人を引き摺り込み神輿を担がせたりする輩もいる。

どの程度の方がご存じかは知らぬが、神輿とは相当重く肩で担ぐのではなく腰で担ぐものだが、そんな経験のない外国人にはいじめ以外他ならない。

そもそも日本人だって昔より平均身長が伸びたが、昔いった『もやしっ子』の如く運動もロクにしなくて育ったので、「腰の入れ方」を知らなくて「くの字型」に腰が曲がり逆に痛めるので、すぐにリタイアする。

それを目の当たりにしたのが30年も前。当時は神輿渡御のサポート役として手伝いをしていた自分だが、若い青年らは後ろに逃げるように遠回しに見るだけで決して二度と担ごうとはしなかった。担ぎ手が少なければ重さで潰れそうになる。痛々しくて絶望的にイヤな気分になった思い出がある。

一方では東京以外からの粗っぽい集団が下町の神輿担ぎの格好とは違うスタイルで我が物顔で担ぐ。しかも担ぐ掛け声なり動作がグループで違う。しかも同好会ごとに担ぐ場所が振り分けられるので、一体感が生まれず暴れ龍の如く神輿が揺れる。それだって勇壮で良いじゃないかという人もいるから、教えてやりたくなる。神輿の中には『神様の分祀』が入っているのですぞ。それを激しく揺らしちゃいけないことぐらい頭が及ばないのかよ、と。

まあ、仕様がない。面と向かって言えばトランス状態の集団だ、いきなり手が出てくるかもしれないし、後で個人なり店を特定されて、どんな嫌がらせを受けるかもしれぬ。

なので、あうんの呼吸とやらを大人だからと勝手に念を送り、頭の中で強制する。で、自分たちではなく公僕なりに強く要請する。

家業を潰した自分は何も言うまい。だから自分は地元に生まれ育ったがその祭りには「肩を貸さない」ことにして30年以上経つ。

でさ、地元の盛大な祭りを見限り、皆さんが担ぎにいらっしゃる一翼である北関東の温泉に逃避するのですよ。

結局、逃げだすタイプなんだよな。否や、金持ち喧嘩せずかな。

まさかな。

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