余談雑談+ 2025年8月15日

今回の都々逸。

「朝顔はバカな花だよ根もない竹に 命までもとからみつく」

立秋も過ぎたのに残暑と呼ぶには程遠い。まして季語で時節を表すなんてのは、情緒の世界か。

これでいうと「朝顔」は初秋の季語。とはいえ都々逸には季語は関係ないのだが。

そういえば、東京下町では昔、小学校の夏休みの観察日記として朝顔を自宅に持ち帰り日々の成長を記す宿題があったっけ。

真面目な奴とそうでない奴は極端であり、特に男子は差が激しく、自分なんぞは毎日水をあげるなんてのは苦手だった。

他にも近くの公園で催行されるラジオ体操に通ってハンコを貰い、皆勤賞を狙うなんてのもあった。どの道、遥か昔の記憶で、毎年曖昧になる。

で、この都々逸はまた別な意味を持つか。俗に『学習効果』とか揶揄されたやつ。つまり、望みのない相手を見つけては、毎度毎度と身と心を燃やす。

相手を見る目がないとか、飛んで火にいる夏の虫とかと同じ。相手のことよりも自分の心身を優先するタイプでもある。

確かに今や様々な価値観や個性が尊重されるので、この手も認知されるのだろう。

「推し活」とやら「ホスト沼」だって本人だって一応は自分のことを知った上でそうしているのだろうから。

恋愛は頭でするものではなく、心でするとも言い切る人もいた。政治家だって他人が何と言おうと自身の正義なり価値観で押し通すし、それを支える人々もそれなりの数は存在する。

信念の問題かもしれぬし、よく言えば自己犠牲の精神かもしれぬ。ま、この都々逸では「バカ」と言い捨てているが。

「となりの芝生」なのか、もしくは恋愛は他人の方が冷静に見られるのか。

どの道、当の本人は幸せなのかもしれぬ。では放っておくのが正解か。

でも、見て見ぬ振りか、本人が気付かないと方向修正はできないよとか、きっとそうやってきての『現在進行形』の社会情勢なのだろうが。

まあ、個人的には恋愛なんてものは、全部が「やっかみ」でしかないんだけどね。

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