余談雑談 2025年8月30日

見えなくても信じられる力。

もしくは知らない人ても信用できること。自分は未だに旧価値観が抜けず、いくつか新しい事象に対応できないでいる。

ひとつはフード・デリバリーだ。昔は「出前」もあったし、祖父母や両親もよく頼んでいた。

ただし注文先の従業員が直接運んできた。つまり、顔見知りで安心感があった。しかもそんなに遠くない実店舗から。

東京の下町などでは当たり前の風習で、自分時など片手に岡持ちもう片手で自転車を操る店員を、あちらこちらで見かけ気安く声を掛けた。それが地元の程良い距離感でもあった。

その手は信用できる。旨い不味いは別として、運んで来てもらえるラクさと顔見知りの安心感。

これが原体験。となると作り手と運び人が別で、もし何かあったらと不安が真っ先によぎるのが性分。

ただ、こうも暑いと自室から出たくないし、これを機に頼んでみるかと思うが、それでも二の足を踏んでいる。

未だにスマホに未交換だし、現行の折畳み携帯だとアプリも簡単に使えず。まあ来年3月で全サービス終了ではある。

ただ、各種サービスが既に終了になったり、通話料も登場直後と同じで超高額になった。それこそクシャミしてる間にも課金てなイメージ。

要はこちらから発信すらしたくない前提。しかもこちとら大前提が他人は信用できない。昔は真逆な教育を受け、真面目に信じてきたが、いつの間にか大東京で生きるには、それじゃ損しかしないと。

振り返るとロクでもない人間関係が多かった。だから、現在のデリバリーでは「毒を入れて持って(盛って)くる」てな可能性を真っ先に考える。

やはり、若い頃の痛手は厳しい記憶。つまり対面で会っても騙されてきた自分は、見ず知らずの人間は恐怖でしかない。

それらから現在のフード・デリバリーを平気で頼める神経が信じられん。

きっとSNSが主流の現在、見ず知らずの人間だろうがフォロワーが多いから大したものだろうと思い込む輩と同じか。単純に大きい数字だけに信用できるという個人的思考力の低さに気付かず。

でも、運び屋だって正当な対価で件数あたりの金が入ったり、総合評価欄まであるらしい。つまり数値化での信用性。

とはいえ当然、店頭価格より手数料が加算されるし、もしくは値段は変わらずとも量なりが減るだろうと考える。こちらはラクを取ってその分、損をする。

または、そこまで考えずに間違いない数値だろうから信用に値すると即変換できる。それが見ず知らずの人間にまで適用できる。

つまり会ったことなどなくても金儲けも可能だし、余程のことがない限り人は皆、善人という前提か。確かに自分も高校に入る前ぐらいまではそう信じていた。

素直に信じることは平和の前提だし。

あれ、ということは自分の心だけ平和じゃないってことか。

まあ、それはそれで長生き出来そうだけど。

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