ほんの少しだけ季節は進んだか。。
とはいえ、まだまだ安心は出来ぬ。というよりも体が季節の移ろいを即座に対応できなくなっている。
これは毎度書いているが「寄る年波」。それは自分でも認めるが、歳を重ねても大して変わらないことがある。
人柄がマルくならないのだ。昔の江戸前落語にでて来る、縁側に座る博識で良き相談相手の「ご隠居さん」に憧れていたのだが。
本来、人生長く生きれば経験が積重ねられ、比較対象が多く出来、それらから冷静に他人に対応なり接すればよい、と。
とはいっても、まだまだ集団就職で東京にでてきて歳を重ね近郊にでも住み、余生を送っている人だっているだろう。
今でも出向くが、実家のタバコ屋だった近くには生活保護者向けの木造安アパートが路地には未だあるし、そこに住んでいる人も歳はとっても、ある程度「お達者さん」だ。
かといって「ご隠居さん」感はない。確かに人口構成比からすれば、老人のニュースはしばしば目にするのは当然。しかも、「迷惑系」とか「高圧系」とも称される類で。
同年齢層が多いからか「目立とう精神」も誘発され、ある意味、イキがる。
結果、実にタフというか何とも無頓着な無頼漢てなオーラを醸す人もいる。
自分だって、若いつもりではいても、あくまで『つもり』だ。それで少し考えてみる。
マルくはならないし、逆に尖がる訳でもないが、妙に物事や他人の判断基準が「好きか嫌いか」ではなくなってきていると。
感性と直感であることは変化なしだが、「嫌いかどうか」になった。当然、ほぼほぼ嫌いや苦手しかないのだが。
古い映画ではここでも能書きたれるくせに、最近の作品はほぼほぼ見ないし、間違っても映画館や試写室にも出向かなくなった。
年の割に脂っこいものとかも含め、飲食は好きなくせにワインやら日本酒、ビール、料理や素材でうんちくを垂れる輩は大嫌い。
見栄を張って他人に言いたいのだろうが、こちらとしては聞きたくもない。
だって、自分ですら知っていることばかり。つまり、本当に知っている人はキチンとした経験値があり、ゆえに自ら進んで能書きをひけらかさないと思うのだ。
それが大人の嗜みかもしれない。でも待てよ、ここで古い映画に関して能書きを垂れ続けいている自分はどうよ。
まあ、間違いなく慎み深くはないな。それでも今に生きる他人たちや現象は、ほぼ90パーセント以上の確率で瞬時に嫌いに分類してしまう。
もしかして防衛本能か。否や人生から降りたってことかね。
体調が悪くなったり戻ったり。日進月歩ではなく衰退へのスローなるギアチェンジ。
そういえば今夏もスローな変化だな。でも、これは世界レベルだし。
そらみろ、だから90パーセント以上は即座に嫌いに感じるんだよな。この数年で「むさ苦しさ」が加速度的に進行しているし。