スタッフ
監督: ジョン・スタージェス
製作: リーランド・ヘイワード
脚本: ピーター・ヴィーテル
撮影: ジェームス・ワン・ホー
音楽: デミトリィ・ティオムキン
キャスト
老人 / スペンサー・トレーシー
マノリン少年 / フィリッペ・パゾス
マルティン / ハリー・ベラヴァー
カフェ店主 / ドン・ダイヤモンド
腕相撲の相手 / ドン・ブラック
ギャンブラー / ジョーイ・レイ
観光客の女 / メアリー・ヘミングウェイ
ギャンブラー / トニー・ローザ
ギャンブラー / カルロス・リヴェロ
日本公開: 1958年
製作国: アメリカ L・ヘイワード・プロ作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
今回もジョン・スタージェス監督作品。だが、西部劇でもなく、戦争映画でもない。文豪へミ ングウェイの実に地味な有名作の映画化。
ハバナ諸島内のメキシコ湾流にある小さな漁村。妻に先立たれ、以後、ひっそりと孤独を噛みしめながら、自分の腕一本で漁を続ける老人(スペンサー・トレーシー)は、この84日間、まったく魚が取れずにいた。
彼を慕う少年マノリン(フィリッペ・パゾス)は、一緒に漁にでたがったが、父親が、運から見放されていると老人の船には乗るなと厳命されていた。
気にする少年をよそに、老人は、たったひとり、今日も海へでた・・・
見事なる「人間の境地」を描いた佳作。
原作は、世界中の人間の誰もが知っているであろうノーベル文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイの作品。
恐らくは物語も、ラストまで知っているに違いないであろう。それを、ごく普通の正攻法で描く作品である。
原作を読んでいる人間なら、ストーリィ自体、あまりにも淡々とし過ぎているので、眠気を催さないか、と不安になる御仁もいるかもしれぬ。
しかも監督は西部劇やアクションで名を馳せていたジョン・スタージェスである。どう考えてもミスマッチだと思うだろう。
しかし、スタージェス作品を見ている人間からすれば、どの作品も、実は、正攻法でオーソドックスな作劇であると思い当たるであろうか。
奇を衒う、つまり、予想外の変調や、観客の想定外のショットなどを突然インサートして驚かすといったカット等は一切登場しないが、ラストまで飽きずに見させ続ける力量の持主である。
本作も然り。メインは小さな帆掛け舟と老人。そしてカジキと鮫。後は美しい海と空。
確かに、老人が夢見るアフリ カの海岸やライオン、昔の思い出といったシーンも登場するが、それはあくまで、彼自身によるナレーションと一緒なので、驚くことはない。
しかし、そういった静かな場面の連続でありながら、老境に達した『男』の心情を見事に描いていく。
感情を激しくだすこともなく、だが、確固たる信念を持って生きてきた男。釣り上げようとするカジキ・マグロに対しても、自分同等の人生があったであろうと思い馳せる。偶然、船に飛び込んできた小鳥にさえ、自分と同じく『存在価値』を推察するのだ。
その達観した心情を見事に演じるスペンサー・トレーシーが圧倒的に上手い。
個人的には、21世紀の現在に至るまで、アメリカ映画が生んだ『名優中の名優』と確信している、たったひとりの俳優である。本来は喧嘩っ早い、典型的なアイリッシュだが。
そんな彼がナレーションを兼ねる。しかし、声は、台詞のときとは些か変えているので、混乱はしない。
原作者ヘミングウェイは、スペイン内乱にも参加した男。しかも、そこで負け戦を味わっている。それが彼の作品群にどれほど影響を与えているか。
本作も、そんな彼の心情が見事に投影されている。しかも、彼の作品群はアクションなり、派手な場面が多く登場する小説も多いので、その殆んどが映画化されている作家でもある。
その中でも、本作は実に静かな作品であり、映像化不可能と言われた原作の一本である。しかも、監督がジョン・スタージェス。さらには、壮大で派手な楽曲が多いデミトリィ・ティオムキンを音楽に持ってきた。
一見、ミスマッチばかりだが、出来上がった作品は、流石である。声高に主張をしないプロたちが作った、本当の「叙事詩」といった趣。
自身の先行きがそれなりに見えてくる時期でもあろうか。こんな自分でも、今までの人生を振り返ることが多くなってきた。そんな時期に、久々に本作をDVDで見返したら、昔とはまた違う印象を覚えた。
信念を持って闘い、そして負けていく。その中で、くっきりと浮かび上がる真の『友情』と、男としての『孤独』。
憧れる。