ハスラー – THE HUSTLER(1961年)

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スタッフ

監督: ロバート・ロッセン
製作: ロバート・ロッセン
脚本: シドニー・キャロル、R・ロッセン
撮影: ジーン・シャフトン
音楽: ケニヨン・ホプキンス

キャスト

エディ / ポール・ニューマン
ミネソタ・ファッツ / ジャッキー・グリーソン
サラ / パイパー・ローリー
ゴードン / ジョージ・C・スコット
バーンズ / マイロン・マコーミック
フィンドレイ / マーレー・ハミルトン
ビッグ・ジョン / マイケル・コンスタンティン
牧師 / ステファン・ジャーシュ
バーテン / ヴィンセント・ガーディニア

日本公開: 1962年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス


あらすじとコメント

前回は若きギャンブラーの人生を描いた作品だった。今回も同じだが、ポーカーからビリヤードへと賭博の種類は変わる。しかも、内容はもっとハードだ。

アメリカ、シカゴ。地方を転々としながら、若き撞球師エディ(ポール・ニューマン)は、マネージャーのバーンズと一緒にとある街なかのビリヤード場へやって来た。そこは全米一のハスラーと噂されるミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)の行きつけの店だった。エディは自分こそ新進気鋭のナンバー・ワンだと証明するためにファッツに挑戦しに来たのだった。

いつもの時間にやってきたファッツは太ってはいるが、三つ揃いのスーツに胸には一輪のカーネーションを挿しているダンディな紳士だった。粋がって挑戦を挑む若僧に黙って頷くファッツ。勝負が始まった。

泰然自若としているファッツに対し、エディは切れのあるショットを決め続け、ひとり勝ちして行く。そこに勝負の状況を聞いたファッツのマネージャー、ゴードン(ジョージ・C・スコット)がやって来る。更に勝ち続けるエディに掛け金を払い続けるゴードン。調子付いたエディはウィスキーを頼んで、俺こそ真のチャンピオンだと笑うのだった。ゴードンはその姿を見て、戸惑うファッツに勝負を続けろと呟いた。「奴は負け犬だ」

やがて彼の言葉通り、酔って負け始めるエディ。36時間に及ぶ勝負の結果、エディは一文ナシになってしまった。己の甘さとプライドを傷付けられた彼は、夜明け前に、寝ているバーンズに黙って荷物をまとめ、バス・ターミナルに向かった。

するとたった独りでコーヒーを飲んでいた若い女性サラ(パイパー・ローリー)を認めて・・・

非情な世界に生きるギャンブラーの壮絶な生き様を描く傑作。

若き勝負師がヴェテランに挑戦するという設定で、人生の無常を知るという内容は、前回の「シンシナティ・キッド」と同じである。しかも、当時、ハリウッド・スターの中で人気を二分していたマックィーンとポール・ニューマンということで、何かと比べられることが多い作品でもある。

ただ、ストーリィ展開やキャラクター設定は、こちらの方が、かなりダークでハードである。

また、あちらがカード・ゲームというテーブルを挟んで互いの腹を読み合う静の勝負だったのに対して、本作はボールが台の上を動き回り、ぶつかって弾ける音といった視覚と聴覚を刺激するゲーム展開を見せる。

若いが絶品の腕を持つ主人公の実力を見せる冒頭から、紫煙が充満したビリヤード場での緊張漲る閉塞感へと展開していき、女性と知り合うバス・ターミナル内のコーヒー・ショップでは都会の冷たさと無機質さが強調される。

そういった進行で際立つのは、クールでシャープな白黒のカメラ・ワークであり、鳥肌が立つほど胸に沁みるモダン・ジャズの音色であるが、ロバート・ロッセンによる演出は大袈裟でハッタリに満ちた展開を一切見せない。それでいながら、脚本、カメラ、音楽といった各パートのスタッフたちのプロ根性を感じさせるのだ。

一方で、誰もが身を切るような孤独を引き摺り、決して明るい表通りを歩けない登場人物たちを演じるキャストも素晴しい。しかも、一般的日常とは異なる世界ばかりで進行する、どの場面を取っても、各々の心の絶望と弱さが際立ち、それぞれの空虚感がズッシリと伝わって来る。

そのスタッフとキャストによる見事なアンサンブルの結晶と呼べる作品である。

役者では、いささか優等生的演技を感じるものの、主役のニューマンも上手いし、運に見放された女が、ふと夢見る幸せと絶望感を演じ切ったパイパー・ローリーや、人生の裏を知り尽くしながらも気品が漂うミネソタ・ファッツ役のジャッキー・グリーソンの演技は見事であるし、台詞のない脇役に至るまで存在感がある演技陣ばかりだ。

しかし、本作で一番強烈な印象を残すのは、蛇のような気色悪いヌメリ気と、決して流れることのないであろう凍りついた血を感じさせるファッツのマネージャー役、ジョージ・C・スコットだ。弱い人間の持つ、底冷え感漂う心の闇を見抜く雰囲気を嫌というほど醸しだしている。見ていて、これが監督自身の視点かとも感じた。

博打打ち、勝負師、ギャンブラー。どんな表現でも良いが、賭け事に命を賭ける人間がいる。しかし、自分はこの映画の御陰でギャンブルに身を染めなかった。それほど非情な世界だと感じたからだ。

ちょっとした手慰み程度で馬券等を買う人や、夢を見るために宝くじを購入する人々が多勢いる。そういった人たちは理性と節度を持って楽しむのだろう。逆に、ビジネスや恋愛でも、どこかギャンブル的発想を伴って、勝ち組になりたいと願い行動する人々もいる。

そういう価値観を持つ人間に見てもらい、それでも、『賭け事は勝つことがすべて』という、自分の考えはやはり正しいかと尋いてみたい逸品。

余談雑談 2008年12月13日
この時期、バーゲンや忘年会が多いときである。 ところが、今年は、そういった人たちを見かける機会が減ったような気がする。100年に一度の大不況とか、政治不安とやたらと負のイメージばかりが目に付くからだろうか。 昨日は、今年一年を表す漢字一文字