スタッフ
監督: ルイス・マイルストン
製作: ルイス・マイルストン
脚本: ロバート・ロッセン
撮影: ラッセル・ハーラン
音楽: フレデリック・E・リッチ
キャスト
タイン軍曹 / ダナ・アンドリュース
リヴェラ / リチャード・コンテ
マックウィリアムス / スターリング・ホロウェイ
フリードマン / ジョージ・タイン
クラヴェン / ジョン・アイアランド
ウォード軍曹 / ロイド・ブリッジス
アーティンボー / ノーマン・ロイド
ポーター / ハーバート・ラドレー
ランキン / クリス・ドレイク
日本公開: 1952年
製作国: アメリカ L・マイルストン・プロ作品
配給: 映配
あらすじとコメント
ルイス・マイルストン監督による、前回同様、第二次大戦を舞台にした戦争映画。ただ、エーゲ海に浮かぶギリシャの島から、南イタリアに舞台は変わる。
1943年、南イタリア。アメリカ軍は、シシリア島を開放し、いよいよイタリア本土に上陸を敢行することになった。
場所はサレルノ。通称「テキサス部隊」のリー中隊は、暁前に、上陸用舟艇から上陸した。しかし、指揮する将校は既に戦死し、数名の下士官が部隊を束ねていた。
上陸後間もなく、タイン軍曹(ダナ・アンドリュース)が静止するのも聞かず飛びだした軍曹が戦死してしまう。更には、プレッシャーから、精神衰弱になる下士官もでてきて、タインの心に部隊を鼓舞させようという意識が芽生え始めて・・・
燦々と降り注ぐ太陽の下で繰広げられる戦争ドラマ。
メインとして描かれるのは、指揮官不在の中隊。「テキサス部隊」と呼ばれているが、兵士たちの出身はバラバラである。
主人公の軍曹はロード・アイランドの田舎町出身の小市民。他には、イタリア系移民、父親を大臣に持つ者、NYっ子、農民など様々。
そんな彼らの背景が次々と紹介されていく進行。
彼らは上陸後、内陸部を目指して進軍していくのだが、映画としては実に地味な展開を見せる。要は戦闘場面より、何故、自分が戦争に参加しているのかとか、生きて帰還し生業に戻りたいと祈念したりといった、彼ら個人の人間性や、心の葛藤という、往年の人気テレビシリーズ「コンバット」のような内容なのである。
ルイス・マイルストンは、戦前に「西部戦線異状なし」(1930)という戦争映画の歴史的金字塔を打ち立てた監督であるが、長くスランプに陥っていた。
本作も、決して傑作、佳作とは言い難い作品ではあるのだが、戦闘場面などに往年の切れが垣間見られる。
ただし、全体のトーンは部隊内の人間模様がメインで、ヤマ場は平地の中のポツンとある一軒の農家の攻略戦へと集約していく。
それを正攻法で押してはくるのだが、どうにも冗漫な印象は拭えない。
しかし、それこそがサイレントから映画を撮り続けてきた監督の持ち味でもある。
情報量も格段に少なく、伝達時間も遅い時代。そんな時代の先端を行っていた娯楽であり、また、情報収集手段の一役を担っていた「映画」。
そんな時代にスピーディ過ぎる展開は、そのリズム感について行けない観客も数多くいたことだろう。
確かに、台詞に頼らないスピーディな展開を見せるスラプスティック・コメディと呼ばれる喜劇も量産されてはいたが、通常は、見る者に理解させる時間を与えるため、わざと無駄とも思える画面を挿入したり、ゆったりとした余韻を残す会話によるリズム感を持たせた作品が多く作られていた。世間の時間の流れそのものが、そういったリズム感であったように。
そういった時代が実際にあった。その時代からの生き証人として映画を撮り続けてきた人間の作品である。
時流に乗れなかったといえば、話はそれで終わるが、そういった映画が歩んできた流れを感じ取れる作品であり、戦時中でありながらも、単なる「戦意高揚映画」ではない作品と考えれば、納得も行くだろうか。