スタッフ
監督: ロバート・シオドマーク
製作: マーク・ヘリンジャー
脚本: アンソニー・ヴェイラー
撮影: ウッディ・ブレデル
音楽: ミクロス・ローザ
キャスト
スェード / バート・ランカスター
キティ / エヴァ・ガードナー
リアドン / エドモンド・オブライエン
コールファックス / アルバート・デッカー
ルビンスキー / サム・リーヴェン
パッキー / チャールス・D・ブラウン
ケニヨン / ドナルド・マクブライト
ニック / フィル・ブラウン
マックス / ウィリアム・コンラッド
日本公開: 1953年
製作国: アメリカ M・へリンジャー・プロ作品
配給: ユニバーサル
あらすじとコメント
今回もヘミングウェイ原作の映画化。しかも短編小説を膨らませたのも同じだし、出演も前回と同じくエヴァ・ガードナー。
アメリカ。小さな田舎町プレントウッド。町の小さな安食堂に見知らぬ二人の男がやって来た。男たちは、店主、コックと居合わせた客を銃で脅した。「スェードという男は、18時にいつも店に来るんだろ」
店主は、来るならもう少し早い時間で、今日は来ない、と答えた。二人組は不敵に笑うと、彼の下宿を探しに行った。だが、居合わせた客が同僚だったことから、彼にそのことを教えに走った。
しかし、スェード(バート・ランカスター)は逃げようともせず、結局、二人組に素直に射殺されてしまう。
翌朝、保険会社から調査員リアドン(エドモンド・オブライエン)が派遣されてくるが、彼の最後の行動に疑問を持って・・・
射殺された男の過去を推理劇スタイルで炙りだす作品。
ヘミングウェイによる原作は、上記したあらすじで、男が逃げずに、ただ諦念して射殺されるまでで終わっている。それ以降の保険調査員による原因究明の謎解きは、すべて映画用のオリジナルである。
つまり、主人公が死ぬことを観客が解っている上で進行するという『倒錯スタイル』である。
調査員が、調べを進めていくと、どうやら彼が犯罪に手を染めていたことが浮かび上がってくる。しかも、彼の保険会社が膨大な保険金を支払った4年前の強盗事件に関係している。
それを調査する現在と、フラッシュ・バックで過去の場面が混在して進行していく。
本作で興味深いことは製作がマーク・へリンジャーであるということ。
以前、ここで紹介したオールNYロケによる集団刑事ドラマの秀作「裸の町」(1948)など、当時としては卓越した審美眼と、通常では考え得なかった着目点で映画を製作する、ジャーナリストから転出し、映画製作に携わっていた人物である。
ある意味、映画界の風雲児というか革命児であった。しかし、44歳という若さで急逝してしまう。
本作は、アイディアは面白いし、ムードもハード・ボイルド調で快調だし、ランカスターの相手役であるエヴァ・ガードナーのファム・ファタール振りも素晴しい。
だが、どうにも脚本が弱いと感じた。行ったり来たりする進行が妙に説明っぽいのだ。
見る側は、主人公の末路を知っているのに、無理矢理、そこへ帰着させようとしている作為性が鼻に付いたのだ。
そもそも謎解きをするのが保険調査員という設定は面白いのだが、当然、私立探偵のようにタフでないのに、殺された主人公の共犯である犯罪者たちに体当たり調査をしたり、現実はどうか知らないが、保険調査員が当然のように拳銃を所持していたりと首をひねった。まァ、『刑事上り』が多く、私立探偵同様なポジションだったのかも知れないのだが。
その上、進行上、どうしても警察関係者が登場しないといけない設定なので、無理矢理、刑事を参加させ、調査員に協力するというのもこじ付けが強すぎると感じた。
ただ、着想自体は面白いので、本作はドン・シーゲル監督、リー・マーヴィン、ジョン・カサヴェティス出演によって「殺人者たち」(1964)としてリメイクされている。
もしチャンスがあれば、両作を見比べて、どちらが自分の嗜好に合うかを考えるのも面白いかもしれない。