おや、と思う間に半年が過ぎた。東京は梅雨の真っ最中だが、もしかすると梅雨明けが8月にずれ込むかもしれないとか。
気象予報士によっては今年は冷夏傾向とも言う。暑いのは、何もせずに海辺でボーっと出来る場所以外では苦手なので、少しホッとはしている次第。
先立て、不意に思い立ち、傘も必要ない若干涼しい夕刻、徒歩で50分弱かけて、暫く振りに、お気に入りの酒場に向かった。
その店は、体調がすぐれない女将さんと娘さんでやっている。もう30年近く通う店で、当初は先代のおじいちゃんと女将さん夫婦で午前10時から営業していたが、初代、旦那さんと亡くなり、それ以降、気さくで明るかった女将さんが心身共に優れなくなり、更には、義姉が独りで守っていた実家もなくなり、更に女将さんを落ち込ませた。
閉店を覚悟したが、勤めに出ていた明るい性格の娘さんが手伝うようになって少し安心していた。
だが、3月に店の前を車で通過した時、車窓から「しばらくの間、休業します」の張り紙を見た。それ以降、足が遠退いていた。
何せ、その店だけを目当てに行くので、閉まっていると行き場に困るのである。近くに数軒、飲み屋はあるが、どうにも自分の嗅覚を刺激しない。
もし、閉まっていたらと心配しつつ到着すると、ちゃんと営業していた。女将さんの姿はなく、お疲れモードの娘が独りでいた。「お母さんは、もうすぐ来るよ」とにこやかに言ってきた。
何でも、股関節骨折後、ノンビリとリハビリに励んでいるのだが、元気も出てきて、若い療法士目的だか、ダイヤの指輪までして出向くと笑っていた。
張り紙の話をすると、あれは自分が入院してたんだ、と言った。彼女は腸が悪いらしく、突如、激痛が走り、動けなくなるのだとか。それで、やつれて見えたのか。しかも原因不明で、様子見するしかない。
おやおや、である。すると女将さんが登場。ダイヤの指輪をして、何十年もはめてこなかったから、勿体ないじゃないのよ、と陽気に笑った。
その笑顔に救われた。一時期、こちらの顔も覚えていないほど、元気がなく、仕事もせず、ただ坐っていたことを思うと、格段の違いである。
嬉しくて飲み続けたら、娘が、あれ、今日は一杯多いんじゃない、と。数か月振りなのに、こちらのいつもの杯数を覚えてやがる。
これだから、この店が好きなのである。メニューはかなり減ったが、それでも存在だけで嬉しい店。ただし、母か娘のどちらかが体調を崩すと休業である。
それでも、この店が少しでも長く続くことを願って止まない。心地良く酔って店を辞した。
来た時よりも幾分か涼しさを増していたが、流石に、徒歩での帰宅をあきらめた。それでも、何とも幸せな晩であった。
この幸せが今後も続きますように。