男と女 – UN HOMME ET UNE FEMME(1966年)

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スタッフ
監督:クロード・ルルーシュ
製作:クロード・ルルーシュ
脚本:ピエール・ユイッテルヘーベン、C・ルルーシュ
撮影:パトリス・ブージェ、C・ルルーシュ
音楽:フランシス・レイ

キャスト
デュロック / ジャン・ルイ・トランティニャン
アンヌ / アヌーク・エーメ
ゴーティエ / ピエール・バルー
ヴァレリー / ヴァレリー・ラグランジュ
フランソワーズ / スアド・アミドゥー
デュロック夫人 / ヤーヌ・バリー
寄宿舎校長 / シモーヌ・パリ
デュロックの相棒 / アンリ・シャミン
アナウンサー / ジェラール・シア

日本公開: 1966年
製作国: フランス レ・フィルム13作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

前回の「8 1/2」(1963)で、主人公である映画監督の妻役を演じたアヌーク・エーメ。今回も映画制作サイドの亭主を持っていた妻の話。本作も映画の流れを変えた歴史的一作だが、日本では、何故か評論家たちからは、評価の高くない監督クロード・ルルーシュの作品。

フランス、ドゥーヴィル海にほど近い寄宿舎にひとり娘を預けているアンヌ(アヌーク・エーメ)。毎日曜に訪れては娘と遊び、夜は列車でパリに戻るという生活を続けていた。

一方、元レーサーで、現在はフォード社のテスト・ドライバーをしているデュロック(ジャン・ルイ・トランティニヤン)も、アンヌと同じ寄宿舎にひとり息子を預け、彼女同様、日曜になるとやって来ては、息子と戯れていた。父親としては、少し甘やかし傾向であるが、それでも、息子と過ごす時間は楽しい。

ある日曜の夜、門限ギリギリに寄宿舎に息子を戻したデュロックの前に、一足先に娘を返したが、列車に乗り遅れたとアンヌが戻って来た。彼女の家がパリだと知ると、彼は一緒に戻りませんかと声を掛けた・・・

恋愛映画の歴史を変えた、イヤらしいほどお洒落でキザな秀作。

ひとり息子を持つ父親とひとり娘を持つ母親。ふとしたことから車に同乗し、パリに向かう。

お互いに子持ちの大人だが、初対面同士。ぎこちなさが漂う狭い車内で交わされる会話。

季節は冬で、外はみぞれ模様。男は一瞬で女に惹かれたのか、亭主のことや仕事のことを聞きだそうとする。ほんの少し口元に笑みを浮かべ、はぐらかす女。

この雰囲気はフランス映画独特の男女の思わせ振りながら、他人とは違うぞと意思表示する、ちょっと斜に構えたヤらしさに満ちた駆け引き。

その奥底の心情を浮かび上がらせる、他国では先ずお眼に掛かれない俳優たちの空気感漂う演技。そして、それを切り取るカメラ。しかもカラーになったり、突如、白黒になったりとこちらを混乱させる。

ただし、それは主人公二人の「打算」なり、「愛」が先行する場面だったり、二人には関係のない『第三者』が強調される場面だったりする。つまり、一定の法則がある中での変換なのであるが、徐々に、「不安」や「葛藤」を表す場面でも多用される。

しかし、その独特なリズム感と寂寥感が映画が進行するに連れて、こちらの私情も変化させられていく。

白黒とカラーがこれほど混在する作品は、本作以前には存在しなかったし、音楽だって当時としては斬新な起用である南米音楽のサンバやボサノヴァ。しかも、それらが流れるのが真冬のフランスという真逆。何とも流麗で饒舌なカメラ・ワーク、鳥肌が立つ演技に、耳から離れない音楽。

それまでの恋愛映画を一蹴した作品であると痛感する。複雑な個性と心情が信条のフランス人というイメージが強いが、ある意味、本作は解りやすく、正反対を描くことで単純化させているとも感じる。

徐々に明かされる男と女の過去。それらが、現在の二人にどのように作用し絡み合っていくのか。

何と言っても、独特なオーラを放ち、目をくぎ付けにし、心を鷲掴みにするアヌーク・エーメの演技は一生忘れられない。

世界中の男女が一度は憧れた恋愛スタイルにして、誰もが実現できないと痛感する恋愛映画の秀作。

余談雑談 2016年5月28日
真夏日が二日も続いた東京。何でも、どこぞの海外の学者さん曰く、今夏は今世紀始まって以来の猛暑確率が98パーセントとか、仰ったらしい。 何をば言わんや、である。それなりの立場の人間が有益な情報を発信してくれるのは、準備せよという心構えが出来て